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『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』7月度

23.11.27





人間力と仕事力が身につく
仕事ができる人はここが違う


『仕事の教科書』の月毎の言葉の中から私の心に響いた言葉を選ばせて
いただいていましたが、今回は、絞るのに苦労しました。
益々混迷を深める世界情勢の中、旨様の生き方の指針の
お役に立てましたら幸いです。







1.自分の荷は自分で背負って
宇治田透玄 東井義雑記念館館長



「苦しみも 悲しみも
自分の荷は
自分で 背負って
歩きぬかせてもらう
わたしの人生だから」


という詩は、そのまま、義父・ 東井義雄の生き方です。
胃がんで、自分の死を 間近に見た時ですらそうでした。
ところが、 平成2年の出来事は、義父にとって「自分の死以上の問題」でした。
東光寺に同居していた長男・義臣が、勤務先の小学校で倒れたのです。
体育の授業中、子どもたちと運動場を走っている時に突然意識を失い、
病院に担ぎ込まれました。そして、心臓こそ動いているものの、
二度と目を覚まさない人となったのです。まだ、46歳という若さでした。


朝、出勤するときには
互いに 手を振りあって 見送り
そして 出勤していった
倅であったのに
それから 一時間半の後
一校時の 体育の時間
子どもたちと一緒に
運動場を走っているとき
突然 ぶっ倒れて しまったという
すばやい 学校のご処置のおかげで
すぐに 病院に運ばれ
すでに 停止してしまっている
呼吸や心臓を
人工で はたらくように
していただいたという

機械による 呼吸であるとはいえ
こうして 呼吸をさせてもらい
いのちをいただいているのは
学校のすばやいご処置と
出石病院の先生方の おかげだ

学校の 皆さん
病院の先生方
ほんとに ほんとに
ありがとう ございます



これは義父の日記にあった詩です。日記は、亡くなった後、義母が書斎で見つけたといいます。
長男が目を覚まさぬ人となってからも、 周囲から見た義父の様子はほとんど変わりませんでした。
苦しみもやりきれない思いも決して外には表さない人だったのです。
私の妻にもそういった種類の言葉は何一つ言わなかったといいます。
しかし私たちの知らないところで自分のやりきれない感情を、日記に認(したため)ていたのです。
そしてそれは詩のスタイルで綴られていました。冒頭で紹介した詩で義父は
「自分の人生である限りは悲しみも苦しみも自分で背負う」といっています。
そして長男が意識を失っておよそ一年を経て、その現実すらも息子と代わってあげることができないという辛ささえも
そのまま受け入れようとしていたのではないのでしょうか。


とうとう
義臣が
まる一年
いのちをいただいてくれた
たくさんな皆さんの
念力にささえられて
いのちをいただいてくれた
南無阿弥陀仏



「悲しみを通して、初めて見さしてもらえる 世界があるのですね」

義臣の妻、私の義妹が義父に言ったそうです。当たり前に息を吸うことのありがたさ。
家族がそろって一日を過ごせる素晴らしさ。 そんな、それまでは見過ごしていた幸せを、
かみしめていたのかもしれません。真の意味で命を喜び、どんなに辛い現実もかけ値なしの人生と思える、
それを、悲しみを通した向こうの世界に見たのかもしれません。





東井先生の著書「自分を育てるのは自分」を昨年1月に終介させていただきました。
宇治田館長の「自分の荷は自分で背負って」を拝読して改めて人生はすべて自分自身で作っていくものだと
思いました。そして東井先生にご長男、義臣さんの奥様がおっしゃった
「悲しみを通して初めて見さしてもらえる世界があるのですね」が胸に刺さりました!






仕事でもらったスランプは仕事で返す
松本明慶 大佛師

我われは足を切ったり、指を飛ばしたり大怪我をすることもありますが、それでも私はあくる日も仕事場にいます。
仕事をしない日はないです。お正月も、弟子には休みをやりますが、自分は木づちをふるっています。
この正月の期間は仕事場を独占できて、新年の構想の下ごしらえができるんです。

こういう話をすると、「先生、そんなに仕 事ばかりして、ストレスはどう解消していますか」と聞かれますが、
スランプやストレスは何から起きているかといえば、結局は仕事から起きているんです。
だからそのストレスは仕事でしか解消されないんですね。
魚釣りに行ってストレス解消しているという人もいるけど、それは一時的に忘れているだけで、
実際は消えることはないんです。
野球選手がヒットを打てないからスランプやと言っても、そんなのヒット打てばいっぺんで直ります。
だから仕事でもらったスランプは仕事でしか返すもんがないです。それでもまた次にスランプがやってきますけど、
そうやって繰り返していくうち、だんだん間隙が少なくなって、すーっと仕事ができるようになります。

一つの道を究めていくには精進を続けていかなければなりませんが、そのためにはまず考え方を変えないと
ダメだと思いますね。考え方が変わると行動が変わります。行動が変わると結果が変わります。
大変な行に入らなければならないとか、辛い仕事をしなければならんとか、そうとしか考えられなかったら、
ずっと苦しみが続きます。そして苦しみから逃れるために手を抜こうとか、違う仕事を見つけようかとなる。
天台の教えにもありますよね、「苦楽」って。うちの工房の会報誌は、この「苦楽」に「吉祥」を足して
「苦楽吉祥」というんです。結局苦楽があるから吉祥があるんです。苦しいけど楽しいと考えを変えれば、
必ず吉祥がきます。

また、「楽」という字には「多くの人が集まってくる」という意味があるそうですね。

私も「そんな長い時間、卒業も定年退職もなく、よく毎日やりますね」と言われますが、
いい仕事を楽しんでやっていると、「あいつ、 楽しそうだな」と人が寄ってきます。
寄ってきてくれた人たちに「あいつと一緒だと楽しいな」と思われ、また人が寄ってきてくださる。
そうなると、どんな苦しいことがあっても楽しくなります。

これも天台の言葉ですが「一隅(いちぐう)を照らす」 という教えがあるでしょう。
自分の仕事に懸命に取り組むことで一隅を照らす。そうやってその場で光るような生き方をしておれば、
必ず人は集まる。





スランプやストレスの解消法は人によって色々あると思いますが、
確かに一時的に忘れているだけで、根本的な解決にはなっていません。
しかし、ストレスが無いと人間は成長出来ないという一面もありますから、
「苦楽吉祥」苦しくて大変だからこそ、仕事もやりがいも大きくなるのではないでしょうか?





素人発想、玄人実行
金出武雄 カーネギーメロン大学教授

世界中の優秀な学生が集まってくる中で、 大きく伸びる学生の共通点は、よく勉強する ということは
当たり前として、精神的に「しつこい」ですね。

例えば研究について質問や提案に来たとする。教授に「考えておくから」と言われ、「あ、そうですか」と
帰ってそのままにしてしまう、という姿勢ではない。またすぐ来て「あれはどうなったか」とか
「もっとさらに考えたんだ」と迫ってくるようなしつこさ。何としても自分の思いを通そうとする思いの強さは
絶対必要条件ですね。これは万国共通じゃないですか。成功している人はだいたいしつこい人が多い。
これは負けず嫌いということにも繋がります。

あとは、「かわいい人」ですね。何でもそうでしょう。
スポーツでも何でも、スーパースターといわれる人たちはみんなかわいいところがありますよね。
かわいさは素直とほぼイコールだと思います。素直というのは何でも「はい、はい」と聞くことではなく、
考えがひねくれていないということです。

例えばコメントを受けた時に、「なるほど、そういう考えもあるのか。もしそうだとすると、
自分の考えはもっとよくすることができるかな」とポジティブに受け止めようとする姿勢です。
逆に、自分の考えが攻撃されていると受け止めて、なんとしても防御する姿勢はだいたい上手くいかないですね。
これは処世訓ではなく、研究そのものと深い関係があります。
だいたい、研究で成功する人の考えの多くは極めて単純明快です。
難しい話や重要な発明も、その発想を聞いてみると「なーんだ」というものが多い。

私はこの仕事をしながら、常々、
「素人発想、玄人実行」
ということを大切にしてきました。とらわれのない、素人のような視点で物事を考える。
しかし、それを形にしていくにはプロとしての知識と熟練された技が必要ということです。
いくら発想が素晴らしくても、下手につくったものはうまく動きませんから。
発想は単純で素直なものでなければならないのに、それを邪魔するものは、なまじっかな知識、
自分は知っているという心です。大学教授という職業は、「それは理論的に難しいだろう」
「何年前にあの人も挑戦したけれど、 上手くいかなかった」という知識をつい先に出してしまう。
本当の玄人になるには、自分の玄人性に疑問を持てるかどうか。
もっと言うならば、時に自分が築いてきた実績を捨てる勇気があるかだと思います。
「素人発想、玄人実行」は学生たちにも話していることであり、
自分自身を育てるためにも意識し続けていることです。






大きく伸びる人の共通点
1.世の為、人の為という志しを強くもち
2.物事の捉え方が素直でひねくれてなく
3.自らが何を知っていて、何を知らないかを自覚している

以上3点が大切なのだと私も強く思います。




4.どこまで人を許せるか
塩見志満子 のらねこ学かん代表

長男が白血病のために小学二年生で亡くなりましたので、四人兄弟姉妹の末っ子の二男が三年生になった時、
私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ。お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです。
ところが、 その二男もその年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった。
長男が亡くなって八年後の同じ七月でした。

近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって、タクシーで駆けつけたら
もう亡くなっていました。子供たちが集まってきて「ごめんよ。おばちゃん、ごめんよ」と。
「どうしたんや」と聞いたら十分の休み時間に誰かに背中を押されて コンクリートに頭をぶつけて、
沈んでしまったと話してくれました。

母親は馬鹿ですね。「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは、学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです。

新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら駆けつけてきました。
そして、私を裏の倉庫に連れていって、こう話したんです。
「これは辛く悲しいことや。だけど見方を変えてみろ。犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまった、という罪を背負って生きてかないかん。
わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら二人が我慢しようや。
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、校医の先生に心臓麻車で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、
学校も友達も許してやれるやないか。そうしようや。」
私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと。
だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました。
それで許したんです。友達も学校も・・・・・。

こんな時、男性は強いと思いましたね。でも、いま考えたらお父さんの言う通りでした。
争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる・・・・・。
許してあげてよかったなぁと思うのは、命日の七月二日に墓前に花がない年が一年もないんです。
三十年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている。
もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえてもこんな優しい人を育てることはできなかった。
そういう人が生活する町にはできなかった。心からそう思います。


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『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』 致知出版社 より




2人の子供を亡くし、それも1人は友達のいたずらが原因で亡くなった時に、
私はその友達を許せるのだろうか?と考えた時、
2015年11月13日(金)の夜パリで発生したテロに巻き込まれ、
奥様と1歳半の息子を亡くされたジャーナリストが
テロリストに向けた手紙で、怒りや憎しみに屈さず、
「今まで通りの生活を親子で続ける」と発信された事を思い出しました。
「許してあげてよかったなぁと思われる、塩見ご夫妻に頭が下がります。

他にもご紹介させていただきたいお話しが一杯です。
是非お読みになられる事をお薦めします。