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十万人が愛した言葉 月刊「致知」編集長 藤尾秀昭 監修

20.09.16

いつもそこには言葉があった

人が真剣に生きる時、
人が悲しみに打ちひしがれた時、
人が新しい一歩を踏み出す時、
言葉はいつもその人と
ともにあった。
言葉はいつも生きる喜び、
希望、勇気、力を
与えてくれた


創刊から四十年以上、月刊誌「致知」の読者の方の心に響いた
『十万人が愛した言葉』の中から、特に印象に残った言葉を
ご紹介させていただきます。




「第一章 自分を育てる」


◎自分は自分の主人公
世界でただひとり
自分を創っていく責任者
   「教育者 東井義雄」

「世界でただ一人の私を、どんな私に仕上げていくか
その責任者が私であり、皆さん一人ひとりなんです。」
東井氏が子供たちに投げ掛けたメッセージは、
世代を超え、胸に強く響いてきます。



◎最大のサービスとは
君の人格を上げることだ
   「イエローハット相談役 鍵山秀三郎」

50年以上にわたってトイレ掃除の実践を続けてきた鍵山秀三郎氏。
知識やノウハウの習得よりも大切なのは、それを用いる人の質。
人格が低い人間は何をやっても駄目だと説きます。



◎心構えというのは、どんなに磨いても
毎日ゼロになる能力である。
毎朝歯を磨くように
心構えも毎朝磨き直さなければならない
   「社会教育家 田中真澄」

「人生は今日が始まり」をテーマに、聴衆の魂に火をつける
熱誠講演を7,000回以上にもわたり行ってきた田中真澄氏。
心構えというものの急所を押えた卓見といえるでしょう。


◎よい本を読め
よい本によって己れを作れ
心に美しい火を燃やし
人生は尊かったと
叫ばしめよ
   「仏教詩人 坂村真民」

詩壇には目を向けず、自分という人間をつくり上げるために、
人々の心に光を灯すために詩を書き続けた坂村真民氏。貫くものを持ち、
心に美しい火を燃やし、尊い人生を生きよと、時代を超え語りかけます。


「第二章 生き方の流儀」


◎晩年がいい人の条件の一つは
人のせいにしないこと
   「精神科医 斉藤茂太」

「心の名医」と呼ばれた精神科医・斉藤茂太氏。多くの臨床経験を踏まえ、
「輝きのある人生にするには、他人に依存することなく、
自立した考え方を持つべき」と説きます。



◎いまがその時、その時がいま
本当にやりたいと思っていることがいつか来るだろう。
その瞬間に大事な時が来るだろうと思っていても、
いま真剣に目の前のことをやらない人には決して訪れない。
憧れているその瞬間こそ、実はいまである

         「サグラダ・ファミリア 主任彫刻家 外尾悦郎」

スペインにあるサグラダ・ファミリア教会の建設に携わってきた外尾悦郎氏が、
その40年間、常に自らに言い聞かせてきた言葉。憧れてきたその瞬間は
「いつか」ではなく「いま」目の前にあるのです。



◎馴れるということは
何と恐ろしいことであろう。
馴れることによって
感謝すべきことさえ、不満の種になってしまうのだ。

         「作家 三浦綾子」

難病の連続だった三浦綾子さんの人生。肺結核、脊椎カリエス、紫斑病、
喉頭がん、帯状疱疹、大腸がん、パーキンソン病・・・・・。
病床で紡がれた言葉は、人間の業に対する深い洞察に満ちています。



◎「~をしてくれない」と言い始めた時から、
既に精神的な老化が進んでいる。
   「作家 曽野綾子」

青年でも中年でも「~をしてくれない」と言い始めた時から、
精神的な老化が進んでおり、危険な兆候であると指摘しています。
曽根さんの言う「くれない族」にならぬよう心したいものです。



「第三章 志を遂げる」


◎最も適切な決断を下す力は修羅場経験
とりわけ失敗の経験がないと養われない

         「一橋大学名誉教授 野中郁次郎」

知識創造理論の提唱者として名高い野中郁次郎氏。
「企業は現実を直視せざるを得ないため、未来を創る力を生み出していく。
そういう意味で日本をリードしていくのは企業人である」
と述べています。



◎苦しみに遭って自暴自棄に陥ったとき
人間は必ず内面的に堕落する。
同時に、その苦しみに耐えてこれを打ち越えたとき、
その苦しみは必ずその人を大成せしめる。

         「スイスの教育研究家 ペスタロッチ」

生涯を障碍教育に捧げ、教聖と讃えられるペスタロッチ。
幸不幸の状況はその人の受け止め方により、
異なる現実をつくり出していくということでしょう。
人生を、人間を知り尽くした人の言葉です。



◎三流の人は、道を追う。
二流の人は、道を選ぶ。
一流の人は、道を創る。

    「シンクロナイズドスイミング日本代表ヘッドコーチ 井村雅代」

三流は流行ばかりを追いかけ、
二流は新しい流行が来た、どちらがよいかと考える。
だが、一流は道を創る。
絶体絶命の局面を幾度も乗り越え、道を切り拓いてきた
井村氏ならではの言葉です。



◎夢を持て。希望を持て。
夢を持たぬ人生は、動物的には生きていても、
人間的には死んでいる人生

    「京都大学元総長 平澤興」

「人間には140億個の脳神経細胞があるが、
それを全部使いきった者は一人もいない」ことを強調し、
不断の努力の大切さを説いた平澤興氏。
一度きりの人生を燃えて生きよと力強く訴えます。



「第四章 運命を創る」


◎逆境はつねにいつでも自分の敵ではない。
ときには恩師となって人生に尊いものを教えてくれることがある。
心の親となって自分の本質を守り育ててくれる。
不幸、病気、逆境は大成する人格を育てる落ち葉である
    「常岡一郎」

青春時代に肺結核を患い、以来闘病生活でひたすら自らの心魂を
練り上げること15年にして病を克服。
常人には想像しがたい苦しみを経て発せられたその言葉には、
人の心を覚醒させる力があります。


◎美しい心を持ち、夢を抱き、
懸命に誰にも負けない努力をする人に
神は「知恵の蔵」から一筋の光明を授けてくれる。

         「京セラ名誉会長 稲盛 和夫」

この宇宙のどこかに知恵の蔵ともいうべき場所があり、そこに蓄えられた
叡智から得た閃きに導かれて経営や人生を成功させることができた・・・・・。
幾多の苦難を乗り越え、道を拓いてきた人ならではの言葉。



◎幸運の女神は謙虚さを好みます。
反対に自分を絶対だと信じて見下すような人、
あるいは他人と自分を比較して
妬む、そねむ、ひがむ、恨む、憎む
といった感情を露にする人。
そういう人から運は逃げていくんです。

         「日本将棋連盟会長・永世棋聖 米長邦雄」

「米長哲学(米長理論)」と呼ばれる勝負哲学を持つ名棋士の言葉。
人間の一生を左右する「運」の研究にも力を注ぎ、運に恵まれる姿勢と
習慣づくりの重要性を説きました。



◎環境が人を作るということに囚われてしまえば、人は単なる物、
単なる機械になってしまう。人は環境を作るからして、そこに人間の
人間たる所以がある。自由がある。則ち主体性、創造性がある。
だから、人物が偉大であればある程、立派な環境を作る。
人間が出来ないと環境に支配される。
   「東洋思想家 安岡正篤」

偉大な人物は環境を変えていくものだと、安岡氏は述べています。
逆に、人間がお粗末だと環境に支配されてしまう。
さて、あなたは環境をつくる人でしょうか。




◎あとがきから

劇団四季創設者の浅利慶太氏が社員によくこんな話をしたという。
「保険会社は”安心”を売っている。メーカーは”便利”を売っている。
では、劇団四季は何を売っているか」
社員の返答を待たずに、浅利氏は自ら答えたという。
「それは”感動”だ。我われは、市民社会に感動を与える仕事に取り組んでいるんだ。」

月刊誌「致知」は”生きる喜び””生きる希望””生きる勇気””生きる知恵”
を売っている。

***『十万人が愛した言葉』 致知出版社 より***



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愛知電子グループは”夢”を売りたいと思っています。
トップアスリートからご高齢の方々まですべての方々を心身共に元気に
美しく出来る”夢”を医療・介護・美容・スポーツに携わる方々に
お届けしたいと思っています。


「実存的変容」に向かう小さな一歩を踏み出そう

20.08.05

『人類の目覚めへのガイドブック』天外伺朗 内外出版社 より

意識が変容し、「怖れと不安」が消える
「いい・悪い」「成功・失敗」「正義・悪」などの区別がなくなり、
目標や計画も不要、結果への執着もなくなる「実存的変容」へと
向かうための簡単な方法。

はじめて聞いた方は少し戸惑うかもしれませんが、人類社会はいま、
あるひとつの大きな波に直面しています。それは人によっては、
希望にあふれた「人類の目覚め」に見えます。
しかしながら、いままでの社会秩序が崩れますので、大災害をもたらす
津波と見る人もいるでしょう。

「本書には、いまこれを手に取っているあなたが、まずこの波の到来を
知り、準備ができること・・・できることなら、無事に変容を遂げて、
新しい常識を身につけること・・・少なくとも、旧来の常識にしがみついて、
抵抗勢力になり、悲惨な人生を歩むことがないように・・・
などといった祈りが込められております。」

本書の第一部、「実存的変容」へ向かうために誰でも簡単に踏み出せる
「日常生活の中でのちょっとした気付き、小さな一歩」を
紹介させていただきます。

小さな一歩①「いいも悪いもないですよ!」

「実存的変容」のひとつの小さなトレーニングは、この長年つちかってきた
「いい・悪い」の判断から離れることです。

小さな一歩➁「自己否定」の無限のループ

「自己否定」が良くないことだ、という呪縛から離れましょう。
「自己否定」している自分を発見したら、「ああ、自分はいま自己否定
しているな」と見上げて、そういう自分をそのまま優しく抱きとめてください。
自己否定をやめようとは絶対にしないで、そのまま徹底的に
気が済むまで自己否定を続けましょう。

小さな一歩③「怖れと不安」狂詩曲

将来の社会的成功に向かって、歯を食いしばって進む努力をやめませんか。
それよりも、仕事でも遊びでもいいですから、「いま」楽しいこと、わくわくすることに
没頭しましょう。首尾よくいけば「フロー体験」が得られるかもしれません。

小さな一歩④「正義と悪」のパターン化

まずは、自分が「正義の戦い」にはまっているかどうか、よく見てみましょう。
もしはまっていたら「悪の権化」が見えているはずです。
その悪の権化のサイドも、もし自分では「正義の戦い」を進めていると
思っているとしたら、彼らはいったい何をもって正義としているか
考えてみましょう。自分としては賛同できないとしても彼らなりに
何らかの正義を掲げていることを理解しましょう。
闇雲に彼らを「悪」と決めつけて否定する姿勢から、少し離れましょう。

小さな一歩➄「コントロール願望」を自覚する

自分の心の中に、組織や他人や子どもやパートナー、さらには
自分自身に対する「コントロール願望」がうごめいていることを
まずは発見しましょう。
「コントロール願望」が出てきたら、それを「いけない」とか
「なくそう」とかせずに、ありのままに「コントロール願望」が
動くのをよく感じましょう。自分が「コントロール願望」の
衝動に動かされていることをなるべく客観的に観察してみましょう。

小さな一歩➅失敗がなくなる「魔法の祈り」

毎朝・毎晩瞑想に入り、下記の祈りを108回ずつ唱える。
「いかなる状況になろうとも、私は起きた結果を全面的に受け入れます。
決して逃げません。誰のせいにもしません。誰も非難しません。」
「失敗」というのは、結果に対する執着が作り出す概念です。
「成功も失敗もないですよ!」

小さな一歩➆計画や目標を捨ててみよう!

旅に出るとき、計画を作らず、宿も決めず、いきなり見知らぬ土地に
降り立ってみませんか?神経を研ぎ澄まし、小さな兆候を見逃さない
ようにして、どこで何が起きるか見てみましょう。
思いがけずにすごい旅になるかもしれませんよ。なにかワクワクしませんか?

小さな一歩➇無責任のススメ

結果に執着して、責任を激しく追及するいまの社会の風潮は、
もう何百年も続いているので一般常識として定着しており、
誰も疑いを持っていません。
「実存的変容」の波が押し寄せてきて、人類はようやくその呪縛から
逃れられる時代に差しかかっているのです。
本章の小さな一歩は、ちょっと世の中のヒンシュクを買うかも知れません。
「徹底的に無責任男、無責任女になりましょう!」

小さな一歩⑨「自分軸」を取り戻す

思い切って「いい人」「立派な社会人」「良き隣人」をやめてみましょう。
無理する必要はありませんが、少しずつ「ボロボロな自分」
「ドロドロした自分」「弱い自分」「汚い自分」を表に出す練習をしてみましょう。
それを表に出しても、それまで思っていたより世間の評判は下がりませんよ。

小さな一歩⑩恋愛の深層構造をひも解く

いま、あなたが恋愛中なら、まず自分の中に「独占欲」と「嫉妬心」を
見つけましょう。何かの折にそれは顔を出すはずです。
相手が、ちょっと別の異性に関心を持ったときとか、自分を見てくれないとき
とかです。「独占欲」と「嫉妬心」を発見したら、絶対にそれをなくそうとしたり、
抑え込もうとしたりしないでください。むしろ、大切に大切に、それを守り、
育ててください。「独占欲」も「嫉妬心」もあなたの一部であり、切り捨てるべきでは
ないのです。そして、その「独占欲」や「嫉妬心」があなたの言動に
どういう影響を与えているか、ちょっと離れた位置から見てみましょう。

「実存的変容」というのは、心の奥底の方に巣くっている「シャドーのモンスター」
と対峙しないと達成できません。一般には、表面的な意識レベルのワークでは、
なかなか心の奥底には届かないのですが、第一部では数多く繰り返すことにより、
心の奥底にまで影響を与える手法をお伝えしました。これは、スポーツの
メンタルトレーニングなどでよく使われている手法です。
一方、心の奥底に直接的にアプローチする手法としては、瞑想と催眠が
よく知られています。天外塾では15年にわたり、いろいろな瞑想法を
工夫してまいりました。第2部ではこの一端をご紹介いたしましょう。







第一部をもっと詳しく知りたい、又第二部の
少し本格的な修行にご興味の
あられる人は、本書をご購入して
実践されることをお勧めいたします。

「心の養生・食の養生・気の養生」 帯津 良一

20.07.22

西洋医学だけでなく、さまざまな療法で癌に立ち向かい、人間をまるごと
とらえる「ホリスティック医学」を提唱し、長年にわたって養生法の実践を
説いてきた帯津良一先生のお話を紹介させていただきます。

『私は生命場を高めるには三つの要素が必要だと考えます。
「心の養生」「食の養生」「気の養生」です。

「心の養生」は一言でいえば、
常に向上心を持って取り組んでいくことです。
どこまでも生命のエネルギーを高め続けることです。
ただ、ここで念を押しておきたいのは、いわゆる「明るく前向き」
という言葉についてです。

意外でしょうが、実は明るく前向きな人ほど、エネルギーを失いやすいのです。
私も最初は人間は明るく前向きなのがよいと思っていました。
そのために開業当初、患者さんを明るく前向きにする心理療法チームを
立ち上げたりもしましたが、ある時気づかされました。

明るく前向きな人が経過がいいのではなく、
経過がいいから明るく前向きになれるのだ、と。
経過が思わしくなければ、奈落の底に落ちて立ち直れなくなる人が
多いのです。では、どうしたらいいのか。

私は多くの人を観察する中で、人間は本来哀しくて寂しい存在であり、
明るく前向きにだけでは生きていけないと考えるに至りました。

元気な状態でも常に悲しみや不安が襲ってきます。
ましてや重病ともなれば尚更でしょう。

作家の水上勉さんは、
「我々は虚空より来たりて虚空へ帰る孤独な旅人である」
とおっしゃっていますが、まさにそのとおりだと思います。

人間は悲しく寂しい存在という考え方にどっしり腰を下ろした時、
「人間は所詮はそういうものなのだ」という一種の安心感が生まれます。
それが分ると、日々のちょっとした出来事にも「ときめき」を感じるようになります。

カツ丼が好きな人なら、カツ丼を食べることでもいいでしょう。
異性を見てときめく人がいるかもしれません。
よい本や言葉に触れて発憤する人がいます。
そんな小さなことでもいいのです。

「ときめき」という希望の種を播いていれば、心は自然と明るく前向きになります。
この前向きは悲しみや寂しさから出発していますから、たとえ壁にぶつかっても
いつまでも落ち込むことはありません。

悲しみ → 希望 → ときめき → 明るく前向き →
悲しみ → 希望 → ときめき → 明るく前向き・・・・・

この循環を繰り返す中で、「死後の世界」に向かって生命場のエネルギーは
高まっていくのです。

次に「食の養生」です。

食の養生というと、どうしても食事制限や
玄米菜食という言葉を連想します。

もちろん、それも大切なことだと思います。
しかし、ステーキが食べたいと思った時には思い切って食べて
自然治癒力を高め、翌日には玄米菜食に戻るといった
「攻めの養生」も大切なのではないでしょうか。

私は、大地のエネルギーを含んだ旬のもの、地場のものを食べること、
好きなものをときめきながら少量食べることは、とてもいいと考えています。
ちなみに、私はお酒も養生という持論があって、晩酌は欠かしません。

三つ目の「気の養生」 

これは、大宇宙の気を体に取り入れることです。
気功、ヨガ、神道の呼吸法など自分に合った健康法を
実践していただきたいものだと思います。』

---------------------------- 月刊「致知」2010年3月号より ----------------




いかがでしたでしょうか。私は
「心の養生」の
”人間は本来哀しくて寂しい存在であり、明るく前向きにだけでは生きていけないと考え”
という水上勉さんの言葉に共鳴いたしました。
「食の養生」は玄米菜食も良いですが、それよりも大切な事は食を含め
身体に悪いことをやめる事の方がもっと大切だと考えています。
「気の養生」は私の恩師、矢山利彦先生から教わった気功法と
朝の散歩の時に村田一吉先生の”立禅ウォーキング」を実践しております。

最後に、「週刊朝日」の帯津良一先生の”老化に身を任せながらよりよく老いる
「ナイス・エイジング」を紹介させていただきます。

「マスクについて」 [呼吸]ポイント
(1)外でみんながマスクをしているのが不思議
(2)マスクで自然な呼吸ができないと免疫力が低下
(3)マスクをするしないをしっかり判断すべき

厚生労働省によると、いわゆる”3密”は
「換気の悪い空間」
「多数が集まる密集場所」
「間近で会話や発声をする密接場面」のこと。
戸外でまばらに歩いている限りは、3密の状態ではまったくありません。
それなのに、なぜマスクをしているのでしょうか。

マスクを外すと実に気持ちがいいですね。思わず呼吸法を3回ほど
繰り返しました。白隠禅師が教えるところの「内観の法」です。
息を吐くときに、臍下丹田(せいかたんでん)、腰脚足心に気を
みなぎらせていくのです。
こういう呼吸はマスクをしたままではできないですね。
マスクをすると、体、心、命を整えるための自然な呼吸が
できないのではないでしょうか。
それは知らないうちに免疫力の低下を引き起こします。
厚生省も熱中症予防の観点から
「屋外で人と2メートル以上離れている時には、マスクをはずしましょう」
と呼びかけています。

マスクをすれば安心と思い込むのではなく、マスクをするしないを
時と場合によって各自がしっかり判断すべきです。

純粋な気づきがもたらす驚異の癒し

20.07.01

「気づき」それは私たちの住む世界を穏やかにし、生き生きとさせ、
夢のような世界に変容させるための手法であり、生き方です。
端的に言うと「気づき」に秘められた癒しと再編成力に気づくことで、
人類が直立歩行し、人間として生き始めて以来ずっと苦しんできた
多くの問題が解決されるのです。

「明かされた秘密」

人生の究極的価値は、ただ生き延びることよりも気づきと黙想の力にかかっている
アリストテレス


あなたにとって、人生で一番大切なものは何ですか?
どんなことが思い浮かんだでしょうか。
健康?家族?仕事?それともアイスクリーム?
この質問への答えは「気づき」です。

気づきとは、心(マインド)のことではありません。
心が電球だとすると、気づきはその電球に光を灯す電気です。
気づきが曇っている時の心は、混乱と誤解に満ち、究極的には苦しみを生み出します。

一方、気づきの先に明るく照らされた心は穏やかで、現在にあります。
そして安らかな優しさにあふれまわりの人たちの気持ちを楽にします。
気づきを自分の「内なる光」と見ることができれば、その途方もない重要性が
よくわかるでしょう。

気づきの質が、人生の質を決定します。気づきが生き生きと
目覚めているかどうか、それが決定的に重要なのです。

たとえ話をしましょう。

あなたが真っ暗な部屋の窓辺に座っているとします。
夜明けが近づいて部屋にほんのりと光が差し始めたとき、
あなたの足元になにか得体の知れないものがあることに気づきます。

何だろうと思って眺めているとあたりが明るくなるにつれて
徐々にその物体の姿がはっきり見えてきます。

突然、恐ろしいことに、それがとぐろを巻いた蛇であることに気づきます。
今にも襲ってきそうに見えます。あなたは恐怖で固まります。

「毒蛇だろうか?ちょっとでも動いたら攻撃してくる?咬まれたらどうしよう?」
と、狂乱的思考が次々と心に湧き上がります。

部屋の中に少しずつ夜明けの光が増していくあいだ、あなたは石のようにじっとしています。
ところが、なぜか蛇は襲ってこない。それに気づいたあなたは少しホッとして、
わずかに思考が働き始めます。体は硬直して動かないまま、頭は逃げるためのシナリオを
素早く組み立てます。

そのとき、太陽が昇り、さっと窓から差し込んだ朝日が、室内を淡い黄金色の光に染めます。
すると、まるで闇が稲妻の光に照らし出されたかのように、一瞬であなたはその蛇が
実は巻かれたロープであったことに気づくのです。

あなたは恐れを感じました。あなたの心は凍りついて停止し、思考は割れたガラスのように
散乱しました。その間ずっと、硬直した体は血液中にストレス・ホルモンを送り出し続け、
戦いに備えていました。
このわずかな時間にあなたは何カ月分も歳をとってしまったかもしれません。
なぜでしょう?ひとことで言えば、実際には脅威の存在しないところに
脅威を認識してしまったからです。

気づきの質が、人生の質を決定します。

気づきが正常に機能していない状態というのは、この暗闇と同じです。

過労・運動不足・薬物・お酒・偏食・怒り・欲・悲しみ。
こういったことのすべてが気づきを鈍らせ、恐れの無い目で世界を
認識する力を奪います。

私たちの人生は「認識された脅威」に満ち満ちています。

お金という蛇。仕事という蛇。家族という蛇。

映画館や海辺のように楽しい場所へと車を走らせているときでさえ、
交通渋滞で気分がぶち壊しになり、血圧が上がり、感情が爆発する。

「戦うか逃げるか」の時代に生きる私たちは、ありとあらゆる場所に
「蛇」を認識するのです。

では、この認識をどうやって変えればいいのでしょう。

どうすれば明るい光をたっぷり受け取って、蛇が実はロープであることを
白日のもとにさらすことができるのでしょうか?

そう、もっと気づくようになることです。

気づきは、太陽の光のようなもので、感情と思考をただ照らしてくれます。
ぼんやりとした頭も、混乱した心も、気づきの光にきちんと照らされていないのです。
私たちは、気づきという燃料を使って認識します。
「純粋な気づき」は決してロープに騙されることがありません。

「戦うか、逃げるか」の時代に生きる私たちは
ありとあらゆる場所に「蛇」を認識するのです。


ほとんどの時間、私たちの心は自動運転になっています。
絶え間ない内面のおしゃべりは、まさに思考が暴走している良い例です。

今日ではあまりに活発すぎる頭脳が一般的になりすぎ、それが当然と
見なされていますが、実はそのために大量のエネルギーを浪費し、
いつもトラブルに巻き込まれることになります。

先のことを心配する。過ぎたことを思い悩む。
退屈、不満、怒り、不安、恐れ。
これらのすべてが「蛇のように見えるロープ」です。
気づきが曇っているせいで、世界は恐るべき場所になってしまうのです。

気づきはいつどこにでもあるのに、私たちはそれに注意を払っていません。
奇妙な話ですが、本当にそうなのです。

ふだん私たちは、日常生活を形づくる物事や、人々に関する考えに
没頭しています。そうした考えの「内容」には気づいていますが、
では「気づき」に気づいているでしょうか?
ほとんど気づいていません。

たとえ純粋な気づきが歩み寄ってきて、私たちに握手を求めたとしても
まだ私たちは気づかないのです。でも、これからすべてが変わります。

気づきはいつでもどこでもあるのに、
私たちはそれに注意を払っていません。


ちょっと待って・・・たったそれだけ?気づき?それが秘密?
あなたは今、ちょっとがっかりしているかもしれません。

私だって、まだ道のなかばの段階で
「ただ起こっていることに気づくだけで宇宙の秘密が手に入る」
なんて聞いたら、やはり同じように感じたでしょう。
それに、あなたは私が何について話しているのかも、
よくわからないかもしれません。
なぜなら、純粋な気づきは頭や心でとらえることはできないからです。
写真に撮ることもできません。気づきは、物でも、考えでも、感情でもありません。

ですから、頭で理解したいと思っていれば、たぶんそれについて話すだけで
苛立ちをおぼえるでしょう。
気づきは、物理的なものでないので、カナヅチのように手につかんで
使うことはできません。ところが、ひとたびあなたが純粋な気づきを
体験するやいなや、(いえ、実際には体験はできないのですが)
そのすべてが完璧に見事に意味をなすのです。

この時点で混乱していても心配はいりません。
気づきについてまったく理解していなくても、それを使って
素晴らしい成果をあげることはできます。

とはいうものの、こんなにすぐに気分が良くなる理由をほかの人に説明するには、
やはり何らかの知識があったほうが助けになるでしょう。

あなたも、いつのまにか楽しく奇跡を創造するようになります。
そのとき、あなたにとって純粋な気づきは呼吸と同じくらい自然なものになっているでしょう。

オッケー。心の準備はできましたか?では、次に進みましょう。

気づきについて全く理解していなくても、
それを使って素晴らしい成果をあげることはできます。










この続きにご興味のある方は、右記の本を
お読みください。正直、私も皆様へこの本を
紹介するかどうか悩みましたが、
「気づき」という言葉にとらわれずに
第5章 思考のはざまの空間を読んで
皆様にお伝えしようと心が決まりました。





ちなみに、そこにはブッダの言葉が紹介されています。

「一輪の花の奇跡をはっきりと見ることができれば、
私たちの全人生が変わるでしょう。」









第6章 私とは誰か? の章にはソクラテスのことばが紹介されています。

「唯一の真の知恵とは、自分が何も知らないということを知ることだ」


フランク・キンズロー『瞬間ヒーリングの秘密』より



APC(人生会議)をともに考える

20.05.26

吹田徳洲会病院地域医療科部長の辻文生先生の学術研修論文の一部を
ご紹介させていただきます。

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◎はじめに
2019年11月25日、APC(人生会議)普及のための厚生労働省のPRポスターが炎上した。
患者役であるお笑いタレントの小藪千豊氏がベッドに横たわり、
「俺の人生ここで終わり?」
などの言葉が並び、死を想起させたことがその理由である。

現在は情報化社会で、SNSなどが浸透し、誰もが意見を述べやすい世の中である。
それはメリットであるが、逆にデメリットでもある。
言いやすくなった半面、批判も受けやすく、みんなの顔色を窺わなければならない
時代ともいえる。

死は決してネガティブな話題ではない。人は最後に必ず死ぬ。
誰もが通らなければならない道である。人生の最終段階をどう過ごすか、という内容は
決して暗い話ではなく、あくまでも今の生き方を前向きに考える機会ととらえるべきだ。
ただ、死の問題はナイーブな領域であり、人によって考え方、受け止め方も多様化しているので
注意が必要である。

◎日本人の死
かつて、日本人の多くが三世代にわたる大家族で暮らしていた時期があり、
多くの人が畳の上で生まれ、死を迎えた。
死は決して特別なものではなくて、身近なものであった。

しかし、わが国では1976年に病院死率が在宅死率を上回り、現在では約8割の人が病院、
残り2割が自宅や施設で亡くなっている。死は、病院などの閉ざされた一部の空間でしか
見られないものとなった。つまり、死が日常的なものから、非日常的なものと変わってきた。
最近は、死に慣れていない、普段死を意識していない人があまりにも多くいる。
死を意識しなくなったのは、平均寿命が延びたことも大きな要因に違いないが、
それだけではない。「人生100年時代」や「アンチエイジング」という言葉がよく聞かれるように
世の中の風潮としても死を見つめ直すどころか、さらに死を遠ざけているようにさえ感じる。

では、あらかじめ死を意識していないとどのような事が起こるか?
老衰の経過として病態が悪くなったとしても、本人、家族は最後には救急車を要請して
病院に行こうとする。現状を受け入れられない心情と、待てないことから救急車を
呼ぶのであろうが、おそらく病院に行けば何とかなるという感情があるのだろう。
普段から延命治療も含め、死をイメージした話し合いが家族間で行われていなければ、
希望を尋ねられても最終的には医師にお任せすることになる。
その結果、時として患者の意に反した延命治療が始まる。基本的に多くの医療者は
「生」に対する教育のみで、「死」に対する教育はないという認識が必要である。
決して延命治療を否定しているわけではなく、患者自身が選択するのであれば何歳であろうと
延命治療を選択すればいいと思う。選択の自由が確保されている点、今の日本の
医療制度はとても恵まれている。

最近は病院医療の問題点について一般市民も徐々に気づいてきた。
病院に終末期を任せればいい時代は終わり、各個人が自分の終末期について
考えなければいけない時代が到来した。

◎医療の役割
「人生は100年時代」といわれるほど日本人の平均寿命が延伸をたどる一方で、
健康寿命の伸びはそれに伴っていない。
私の推進する幸福寿命についていえば、縮まっているようにさえ感じる。

それは、日本に限ったことではなく、世界的な傾向である。
今、多くの方が未来に対して閉塞感を持っており、心の余裕がなくなってきている。
人、そして国自体に心の余裕がなくなれば、当然周りに対しても優しくなれない。
自分中心になり、自然と争い事が多くなってくる。

医療の役割とは、そもそも「幸福を創ること」だと思っている。
今の日本では実際その役割を果たしているだろうか?
私は急性期の臨床現場に長年携わってきて多くの高齢者医療の現場を診てきた。
今まで数多くの意思疎通が取れない寝たきり患者の誤嚥性肺炎に対しても治療してきた。
「治療をすることで本当にこの患者は幸せなのか?」
「今の治療が患者にとって望む治療なのか?」
と自問自答を繰り返してきた。

医療人として誤解を恐れずに言いたい。長く生きることが必ずしも幸せではない。
人は長生きするために生きているわけではなく、生きる目的、そして役割があるから生きているのだ。
しかし、多くの人は自分の人生はまだまだ続いていく、今日と同じような明日や明後日が当然のように
やってくると思いながら日々を不本意に過ごしているのではないだろうか?

人生は長い短いではなく、毎日を精一杯「生き抜く」ことが大切だ。
決して幸せな人生か否かは周りが決めるものではない。
自分が納得した日々の積み重ねこそが幸せな人生というものではないだろうか。

2017年に乳がんで若くして亡くなったフリーアナウンサー小林麻央さんの
手記を引用したい。

『人の死は、病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで可哀相に」「小さな子供を残して可哀想に」でしょうか?
私はそんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出合い、2人の宝物を授かり、
家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生だからです。』

私は、幸せな人生を生き抜いた説得力のある手記だと思う。

◎おわりに
ヒトは幸せになるために生まれてきた。
そして、みんなが幸せになりたいと考えている。
特に今の日本では物質的な豊かさよりむしろ精神的な豊かさを求める時代になってきた。
私は、幸せになる秘訣はシンプルライフだと常に思っている。
それには、常日頃、死を意識することが大切である。
死を意識し、限りある人生と思えば日々を粗末にしてしまうことなく
一日一日がとても貴重に思えてくる。ともすれば忙しい日常生活の中で
埋没してしまう人との出合いや日々の役割を大切に思うようになるであろう。
たとえ平凡な毎日であったとしても、今周りの人たちのお陰で自分が
生かされていることを思えば、自然と感謝の念が湧くものだ。
たとえ持病があったとしても常に病気と闘い続けるのではなく、
時には立ち止まり、病気に寄り添い、なぜ病気になったのか身体の声を聴き、
全身の細胞に意識を傾けることをお勧めする。
そう指導することによって生活習慣、そして生き方が変わる患者を多数経験してきた。
考え方次第で、病気は敵にも味方にもなるものだ。
昨今、心の余裕がない人がとても多くなってきた。
是非一日の終わりや仕事帰りに空をゆっくり見上げる余裕があるか自問自答していただきたい。
自分自身に対して、「今日一日お疲れさまでした」と自然に言える日が来ると、
幸せが間違いなく近づいてくる。

今ACPが話題になっていることは老若男女問わず、すべての人が
死を意識する絶好のチャンスだと感じている。
今の世の中は多様化しているために生き方、死に方、
そして幸せの在り方も多様化している。
情報社会で医療情報を含めて様々な情報が氾濫する中、
適切な情報、自分に合った情報を見つけるのは至難の業ではあるが、
動き出さなければ始まらない。
ただ、こうでなければならないというものではない。
だからこそゆっくり自分自身で選んで決めたい。
移り変わる気持ちも全く問題ない。
とことん悩み続ければいいと思う。
それが人生というものではないか。
特に死の議論には正解がない。人の価値観,死生観は様々、
だからこそ自分で考え続けなければならない。
そのプロセスこそが大切なのだ。
繰り返しになるが、死を考える、意識することによって人生はずっと充実する。
一人でも多くの人が、最幸の毎日、人生を歩んでいただきたい。
そして人生最期に自分の理想の死を迎えることができれば、
医療者としてこれほど幸せなことはない。

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全文を読まれたい方は、吹田徳洲会病院 地域医療科のホームページに入ってください。
HPはこちら


2018年厚労省はフレイル対策をはじめとした高齢者の特性に応じた
保険事業の本格実施を始めました。





健康寿命を伸ばす事は勿論大切ですが、新型コロナ禍の閉塞感で
身体だけでなく心の不調を訴える人が益々増えている現在、
医療の役割とは「幸福を創造する事」と考えて臨床の現場に立たれている
辻先生のお言葉をしっかりと噛みしめて幸福寿命についても
考えたいと思います。

人間力を高める学び「人間学」とは何か

20.04.24

人間が人間になるための学びを「成人の学」といいますが、
この「成人の学」には二つの学があると言われています。
その一つが「人間学」で、もう一つの学びを「時務学」といいます。

人を愛する、人を尊敬する、忍耐する、
正直、勤勉、誠実、恩を感じて恩に報いる・・・


こうした、人が本来備えている徳性を養っていくための学問を「人間学」といいます。
この徳性は学んで養っていかなければ、発揮されません。
つまり「人間学」とは、徳性を養うための学問を意味します。

もう一つ、人間にとって大切な学問が「時務学」です。
「時務学」とは、知識・技能を養う学問のことを言います。
人間が今日まで文化、文明を発達させてきたのは、知識・技能があったからです。
時代に応じて、人は飛行機によって空を飛び、地上に新幹線を走らせ、
潜水艦で海の中を移動できるようになりました。
様々な技術革新をしてこられたのは、全て人間の知識・技能によるものです。
こうした意味から、人間にとって知識・技能は非常に大事なものであるといえます。

しかし、あらゆるものには本末があります。
東洋古典の『大学』という本には、

  「その本乱れて末治まるものはあらず」

という言葉があります。
この成人の学にとって、「本学」というのは徳性を養う学問、
つまり「人間学」が「本学」であって、
知識・技能を養う学問が「末学」であると言います。
いくら知識・技能を多く学んでも、この「本」となる徳性を養う学問を
全然学ばなければ、世の中は成り立っていかない、ということを
『大学』という本は2500年も前から言っているのです。・・・致知出版社より・・・

それでは、徳性を養う「人間学」をどのように学んだら良いのでしょうか。

先日、岩手県北上市のさやかクリニックの齋藤さやか先生より
女性として史上初のシッダーマスター(ヒマラヤ大聖者)になられた
ヨグマタ相川圭子さんの著書「成功の源泉」を送っていただきました。
その帯書きにはこのように書かれています。

『本当の成功を求めるならば、私たちがどんな力で生かされて
成功するのか、その力の秘密について十分に理解することが大切です。
事業が繁栄したり、仕事が順調であるとそれは自分の能力と努力によるものだと
思う人が少なくないようですが、じつは、その奥に働く、命の偉大な力があります。
私たちの奥深くには、純粋そのものの源(本源)があります。そこには無限の
パワーがあり、無限の愛があり、無限の智慧があります。瞑想をして真理を
知っていくこと、気づきを深めていくことによって、本当の生き方、
本物の成功に導かれるのです。』





あとがきには、
『単にお金持ちになるのではなく、あなたの生涯が、
本当の生きる意味を知り、味わい深いものになりますように。
この生が人のためにもなっていきますように。あなたの力が、
社会をよくするのです。もちろん、自分が満ちて、なおかつ
みんなが幸せになるのです。
・・・・・・・・・・
瞑想をして無駄なストレスを全部焼き、マスターの純粋な
エネルギーとつながることで、あなたの願いは天に届けられ、
実現するのです。』

ヨグマタ 相川圭子


さやか先生、ありがとうございました。
私の人生訓である
「人間死ぬまで発展途上心」
を心に刻んで、「気づき」を深めていきたいと思います。





「気づき」を深める方法として私が日々実践している中の一つが
”ひふみ祝詞”を唱えることです。

2013年12月の私のブログ「高次の知的生命体や宇宙につながる意識を拓く・・・」
でもお伝えさせていただきましたが、「超意識」が高まりますと
次のような効果が期待できるそうです。

1.無償の愛の意識が高まる → 我欲が少なくなる
2.高次の知的生命体とのパイプが太くなる。 → 人生が豊かになる
3.直観力、透視力、創造力が高まる。 → 想いの実現
4.生命エネルギーの流れが良くなる。 → 自然治癒力が高くなる
5.自分の仕事の能力が高まる。
6.魂のデトックス → 細胞機能を高める

そして「超意識」を高める方法は色々ありますが、私は堀田先生の
お勧めで”ひふみ祝詞”を唱えています。
中矢伸一さんによりますと、”ひふみ祝詞”は神の霊、大宇宙の
すべての真理、そして絶大なパワーが秘められた言霊の配列だそうです。

お勧めの唱え方は、1日3回(多くても可)、身体を楽器のように
振動させるような感覚で、日中は掌を上に、夜は下に向けて唱えると
良いそうです。
”ひふみ祝詞”を唱えて8年、何が変わったという事ではありませんが、
間違いなく何かが変わります。

「まだ”ひふみ祝詞”を唱えたことがない」という方に確信を持って
お勧めさせていただきます。

「一隅を照らす」 出口光オフィシャルメールマガジンより

20.04.08

新型コロナウィルス感染拡大による「緊急事態宣言」は、戦争を知らない世代にとっては
初めての危機体験です。

このような状況では、まずコロナウィルスの感染拡大に万全をつくす事が第一ですが、
それに際して起こりうる様々な問題にどのように対処したら良いのかと考えました。

その時、ふと思い出した言葉が「一隅を照らす」でした。

京都比叡山に延暦寺を開いた伝教大師最澄は

「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」といいました。

たった一隅でも照らすことが出来る人は国宝だ!というのです。

一隅(いちぐう)とは、今自分がいる「場」そのもののことです。

「一隅を照らす」とは自分が、自分のおかれている「場で」
みんなの為に自分のできることを、できうる限りやることです。

自分の存在する「場」を照らす、という想いでやれることをやれば
あなたは光り、周りの人も照らされ光ってくる。

「一隅を照らす」

これは、あなたの周りを幸せにする誰でもが出来得る方法なのです。

そして、一隅という以上は全体が見えていることになります。
全体を俯瞰して、自分が出来ることをやる。
大きなスピリットから自分ができることをやる!

これこそが志であり、天職ではないでしょうか。
あなたは今日は一隅を照らしますか?

私はこの言葉で頭の中のモヤモヤがなくなり、何か視界が明るくなったような
気がしました。

-----円覚寺管長 横田南嶺さんのお言葉をお伝えさせていただきます-----

・明日はどうなるかわからないけど、今日一日は笑顔でいよう。
・つらいことは多いけれど、今日一日は明るい心でいよう。
・いやな事もあるけれど、今日一日は優しい言葉をかけていこう。


地域社会医学実習生の研修

20.02.28

愛知医科大学では、2学年次のカリキュラムとして、障がい者の介護、救急医療の現場、
働く人々の実態を体験し、社会における医師としての役割について理解を促す目的で、
学外体験実習を取り入れています。

この度、MCA学会理事の愛知医科大学衛生学の松永講師のご紹介で、男女合わせて6名の医学生が
当社に実習に来られました。
出身地は東京、大阪、金沢、和歌山、三重、愛知とさまざまで、6名の内4名の生徒は親が医師でした。

入学金から卒業までの学費から生活費を考えますと、普通の家庭ではとても賄える金額ではありませんが、
大学側も成績優秀者の学費免除、そして卒業から一定期間、大学病院で勤務することを条件とした
奨学金制度等で、それなりに考えているようです。
どちらにしても、学業だけではなく、医師になるハードルは色々な面でとても高いと改めて実感しました。

6名それぞれに医師を目指す目的を尋ねましたら、「親の跡を継ぐ」「小児医療に興味がある」等
ありましたが、まだ2年生ということもあり、将来の進路はまだ決められる段階ではない感じでした。

当社に縁があって実習に来られたわけですから、少しでも何かお役に立てればと思い、現在の医療が
かかえる保険制度の崩壊、AIテクノロジーの進化に伴う医療の変化への対処、そして現代医療は
急性疾患には有効な手段が多く対応できるが、慢性疾患には充分に対応が出来ないことなどを考え、
堀田先生の著書『身体は、なんでも知っている』の冒頭の言葉


-----多くの病気は原因がわからず、対症療法になっている。
-----慢性病には薬以外に有効な手段が無く、長期間薬を飲みつづけなければならない。
-----検査をしても原因がみつかるとはかぎらない。
-----免疫力を高めたり、病気を未然に防いだりする治療法に乏しい。
-----薬の副作用を未然に防げない。
-----保険診療のなかでは、保険で認められた治療以外に自由に治療法を選択することができない。
-----科学的ではないものについては、受け入れる素地がない。

を紹介させていただきました。

まだ2年生で医療現場の経験もありませんから当然だとは思いますが、
全員あまりピンとはきていないようでしたが、それなりに素直には聞いてくれました。
今後、一人前の医師となって現場の荒波に揉まれても、今の素直な気持ちを忘れることなく
成長されることを心より願っております。

その後2人1組で当社のユーザーの病院、整形外科、接骨院、介護施設等の見学に
案内させていただきました。


当社は30年前から現代科学の基本概念を超えた医療機器及び関連する健康グッズの開発と
治療技術及び診断能力の向上のための各種セミナーを開催させていただいております。

わずか2日間の研修でしたが、6名の医学生全員が「当社に来て良かった」と
言っていただけました。

今回見聞きしたことが将来少しでもお役に立てましたら幸いです!

国際和合医療学会

20.01.22

魂の伝道師、故氏家五十六さんとの繋がりで国際和合医療学会の理事会は
10年程前よりいわき市で開催されています。
学会は東京・名古屋・京都・青森などで定期的にセミナーを行っております。
学会の趣旨としましては





今年の理事会には、新たに学会の事務局長に就任されました
日本先進医療研究会の代表理事の小林平大央様のご紹介で初代厚生労働大臣の
坂口力様が来賓としてご出席されました。

三重大学の名誉博士でもあられる坂口先生は
「免疫の力でガンを治す患者会」の会長をされる程、代替医療への造詣も深く
渋谷で健康相談室も運営されていらっしゃいます。
坂口先生は国際和合医療学会の趣旨に賛同していただき、応援をお約束して下さいました。

愛知電子工業株式会社は国際和合医療学会の活動をバックアップしていきたいと考えております。





サンタクロースなんているの?

19.12.19

今から100年ほど前、「サンタクロースなんているの?」
と新聞社に投書した少女がいました。
その子の名はバージニア・オハンロン。
彼女は8歳の女の子。
学校でサンタクロースにお願いするプレゼントについて友達と話していました。
ところが、クラスメイトの男子から
「おいおい、サンタなんかいるわけないだろう。お前ってホント子どもだなあ」
と、からかわれてしまったのです。

現代でも、サンタクロースを信じている子に対して、こんな言い方をしている子がいます。
目に見えない世界を信じるなんてバカげていると、唯物主義が正義で知識人であるかのように、
したり顔する人種です。

誰もがサンタクロ―スを信じていた頃はあったでしょう。
しかしサンタは、大きくなるにつれて、私たちの心から立ち去っていく。
夢を現実で覆い隠しながら、子どもはみんな少しずつ大人になっていくものかもしれません。

「でも、サンタさんは必ずいると思う」
バージニアは他の友人や、先生に尋ねましたが誰もハッキリ答えてくれません。
そこで彼女は大好きな父親に尋ねました。
その時、バージニアの父親には妙案が浮かぶ。
それは毎日配達されてくる新聞社に手紙で質問することでした。
父親としては気の利いた逃げ口上と言えるが、新聞社としてはたまったものではありません。
そんなこととはつゆ知らず、無邪気なバージニアはさっそく手紙を書いて投函した。

サン新聞社さま
私は8才です。
私の友達に「サンタクロースなんているものか」っていってる子がいます。
パパは「サン新聞に聞いてごらん。サン新聞のいうことがいちばん正しいだろうよ。」
といってます。
どうか、ほんとうのことを教えてください。
サンタクロースって、いるんでしょうか?
ニューヨーク市 西95丁目115番地 バージニア・オハンロンより

*村上ゆみ子、1994年『サンタの友だちバージニア』偕成社 より引用*

そして数日後の9月21日、サン新聞の社説にバージニアの質問への回答が掲載されました。
新聞社としては非常に勇気のいる記事になったに違いありません。
ともすれば、バージニアだけではなく、多くの子どもたちの夢を一瞬で壊しかねないからです。

このたびは、わが社に、次のような問い合わせの手紙が届きました。
さっそくこの欄で取り上げてお答えいたしましょう。
サン新聞をこれほど信頼して、お手紙をくださったことに大変感謝いたします。
バージニア、あなたの友だちは「サンタクロースなんているものか」
といっているそうですが、その子はまちがっています。
この頃は、なんでもかんでも「そんなのはウソだ」と疑ってかかる人が多いけれど、
その子もそんな疑がりやさんなのでしょう。
そういう子は目に見えるモノしか信じようとしないし、自分の頭で考えても理解出来ないものは、
「あるもんか」と思ってしまうのです。しかし、自分の頭で考えられることなど、
おとなだって子どもだってそんなに多くないのですよ。
私たちの住んでいる、この限りなく広い宇宙と比べたら、人間の知識なんてものは
小さな虫ていど、そう、アリのようにちっぽけなものです。
この広い世の中にある「すべての真実と事実」を考えてみたら、私たちが頭で分っていること、
知っていることなどは、ほんの少ししかありませんよね。
そう、バージニア、サンタクロースはいるのです。
サンタクロースがいる、ということは、この世の中に愛や、優しさや、
思いやりがあるのと同じくらい、たしかなものです。私たちのまわりにある愛や思いやりは、
あなたの生活を美しく楽しいものにしているでしょう?
もし、サンタクロースがいなかったとしたら、この世の中はどんなにつまらないことでしょう!
サンタクロースがいないなんて、バージニアみたいな子どもがいない、と同じくらい
さびしいことだと思いますよ。
サンタクロースがいなかったら、素直に信じる心も、詩も、夢のような物語もなく、
人生はちっとも楽しくないでしょう。わたしたちが、喜びを感じるのも、目で見たり、
さわったり聞いたり出来るものだけになってしまいます。
そして、子どもたちが世界中にともした永遠の光も消えてしまうでしょう。
サンタクロースが信じられない、とはね!
それじゃあ、妖精がいることも信じない、ってことになるね!
なんだったら、パパにたのんで。だれか人を雇って、クリスマス・イブに街中の煙突を
見張ってもらって、サンタクロースをつかまえてみることにしましょうか?
でも、もしサンタクロースがみつからなくても、それがどうしたっていうんです?
サンタクロースを見た人は、だれもいません。
でも、だからといって、サンタクロースがいない、といえるでしょうか。
この世の中でいちばんたしかでほんとうのもの、それはおとなの目にも、子どもの目にも
見えないのです。
妖精が芝生の上でダンスしているのを見たことがありますか?
もちろん見たことがないでしょう。でも、見たことがなくても、妖精なんかいないんだ、
ということにはなりません。この世の中には、目に見えないものや、見ることができないものが
ずいぶんたくさんあります。そんなふしぎなもののすべてを、人間がわかったりできるものですか。
赤ちゃんのガラガラはとうして音が出るのか、もし知りたかったら、それをこわして
中を調べることはできますね。
しかし、目に見えない世界は、1枚のカーテンでおおわれていて、どんな力持ちでも、
力持ちが何人集まっても、そのカーテンを引き裂くことはできません。
そのカーテンを開けることができるのは、信じる心、想像力、詩、愛、夢見る気持ちだけなのです。
そういう心さえあれば、カーテンの向こうに広がる、美しく、きらきらした輝かしい世界を
見ることができるのです。
そんな世界はまぼろしではないかって?
バージニア、カーテンの向こうのそんな世界こそが、ほんとうであり永遠なのです。
サンタクロースがいないだなんて!
うれしいことに、サンタクロースはちゃんといるし、これからもずっと生き続けるでしょう。
いまから1000年たっても、いえ、その100倍の月日が流れても、サンタクロースは
子どもたちの心の喜びとして、ずっとずっと生き続けるでしょう。

「そう、バージニア、サンタクロースはいるのです」
という文章は、その後も毎年クリスマスに載るようになりました。
この社説を書いたのは、フランシス・ファーセラス・チャーチという人です。
当時チャーチは58才。チャーチは奥さんと2人暮らしで子どもはいませんでした。
チャーチにバージニアの姿は見えません。しかし、バージニアを自分の子どものように感じ、
優しくあたたかく語りかけているのが素晴らしくよくわかります。
チャーチはこの社説を書いた9年後に病気で亡くなってしまいました。
そして、やがて記事も新聞から消えた。

さて、その後バージニアはチャーチの出身校であるコロンビア大学に学び、文学博士号をもらう。
そして、小学校の先生になりました。さらにニューヨークのフォーダム大学に通い、
教育学博士号という最高の免状を手にします。
1947年には校長先生となり、69歳になるまで教師を続けました。1971年、バージニアは
81歳でこの世を去ります。そして、あの社説が復活することになるのです。
当時、サン新聞はなくなっていたが、「ニューヨークタイムズ」がバージニアの死の翌日、
14日の第1面に「サンタの友だちバージニア」という記事を掲載したのです。
「そう、バージニア、サンタクロースはいるのです」
この言葉は世界の人々に、夢と信じる勇気の大切さを語り伝えてきました。
名文としていまも残り、未来へも語り継がれていくでしょう。
誰も知らない100年前のことなのに、文章はそれから消えることなく今日まで残り続けているのが
凄いですね。
人間の精神性は、肉体が消えても決して失せることはありません。
それと同じように、精神性を受け継いだ文章は、永遠であることを教えられます。
きっとサンタクロースも妖精も、人間にとってもっとも尊い精神性から生まれたものであり、
決して失せるものではないでしょうし、それを否定するなんてとても悲しい行為だと私は思います。






私は、娘達が結構大きくなるまで、
クリスマスのプレゼントを贈っていましたが、
このように考えていた訳ではありません。

最後の「誰も知らない100年前のことなのに・・・」
の文章は金光教の木津秀夫先生のお言葉ですが、
クリスマスを前にして、目に見えない世界の
大切さ、人間の精神性について改めて
考えるきっかけになればと思い、ご存知の方も
多いかと思いますが、ご紹介させていただきました。

江戸文化と聞くと何を思い起こしますか?

19.12.04

14年目の澤田先生の合宿セミナー、今回の会場は上野動物園のすぐ近くの水月ホテル鷗外荘。
ホテルの中庭には、森鴎外の居宅が大切に保存されていました。



澤田先生もお話しされましたが、小説家、翻訳家としての森鴎外は「舞姫」「雁」「山椒大夫」「高瀬舟」
などと高名ですが、軍医としては「脚気栄養障害説(ビタミンB欠乏症)」を認めなかったため、
日露戦争では陸軍で25万人の脚気患者が発生し、約2万7千人が死亡してしまいました。

日本で脚気の原因が栄養にあることが認められたのは海外の研究の結果であり、海外での成果が確定すると
脚気細菌説の支持者は一斉に手のひらを返したそうです。

このような問題が今だに日本では多々発生している現実を思うと残念でなりません。

今回のセミナーの資料は100ページを越えますが、その中で私の心に残った部分をご紹介させていただきます。
澤田先生のお話はとても興味深く、又わかり易く解説していただきました。




日本の総人口は江戸期を通じ3千~3千百万人。
1945年(太平洋戦争終戦)時点で7,220万人。
現在は1億2,614万人。
戦後70年で54万人も増加しています。


町人地(15.8%)に55万人(43%)の町人が
生活していたのですね!
80%以上が緑だったなんて今の東京からは
想像もつきません。


「花魁」は文化の最先端だったのでしょうか?


1番目の大化(645~650年)から始まり、近代といわれる明治が247番目、
令和が251番目になります。





子・丑・寅は知っていましたが、季節により昼と夜の長さが違っていたなんて
全然知りませんでした。





4月1日生まれは前学年に属することが、明治35年の法律で決まったなんてビックリです。
「日没を一日の始まりとする」という決まりで、24日がクリスマスイヴなんですね!
私は誕生日の前日のお祝いと思い込んでいました。





江戸時代に現代の食文化の基礎が出来上がったのですね。
寿司屋の「2個で一貫」が今では「一貫」が「1個」に変わってしまいました。





わずか20年間で江戸湾のハマグリが5,000トンからゼロになってしまったとは
改めて驚きですね。
文明が発展したのか後退したのか、改めて考えさせられました。





三行半から奉行所の看板、江戸は現在よりもはるかに治安が良かったなんて
思い込みの多さにただ反省です。
歴史は勝者の記録とよく聞きますが、資料が無いことは「なかったこと」
また、テレビや映画の刷り込みの恐さを思い知りました。





19世紀の大都市で河川に下肥を流していなかったのは江戸だけなんて!
1629年には神田上水、1654年には玉川上水、
と江戸の上水道設備・リサイクル制度を含めた都市計画は凄いですね。



◎鎖国とキリシタン禁制


先頃、ローマ教皇が日本を訪れて、広島、長崎を訪問しましたが、
キリスト教徒はこのような歴史を知っているのでしょうか?





いかがですか。私たちが学校で習った時の印象とはだいぶ違っていませんか?
鎖国とキリシタンを禁制した江戸幕府に感謝していたいような気持になりませんか?
江戸時代を改めて見直してみたいと思いました。





◎澤田先生のお話の締めくくりです。





澤田先生の深い見識を学び、改めて
考えさせられるセミナーでした。
最後に、先生は「江戸時代には戻れ
なくてもせめて昭和30年代に戻れば
地球は存続できるのでは」
と結ばれました。




お掃除の「レレレのおじさん」とは

19.10.25

「志のある青少年を育てよう」をテーマに精力的に活動されている出口光さんの
メールマガジンに興味深い話がありましたので、ご紹介させていただきます。

「皆さん、こんにちは。
バカボンの漫画を知っていますか。
ギャグ漫画のように見えて実は深い。

バカボンはバカのように思いますが、
バカボンとはサンスクリット語で
悟った者(ブッタ)を意味します。

バカボンのパパは
「これでいいのだ!」と言います。
これは全てを肯定する「悟り」の境地なのです。

いつもホウキを持ってお掃除している耳が特徴的な「レレレのおじさん」は、
ブッダの七番目の高弟であるシューリハンタカだと言われています。

シューリハンタカは自分の名前すら覚えられない頭の悪い修行僧で
諦めて故郷に帰ろうとしたときブッダからホウキを渡され
「心の垢を流し、心の塵を除く」
と言いながら掃除をしなさいと言われます。
レレレのおじさんは心と庭の掃除をし続け
ついに悟りの境地に達したのです。

心の煩悩は掃除してもまた現れます。
それを受け入れて毎日毎日掃除をし続けたのです。

どうせ汚れるなら掃除しなくてもいいじゃないか。

レレレのおじさんはその心や庭は汚れるものであることを
受け入れたのです。

そしてお掃除をし続ける。

人間の愚かさもそして崇高さも天才バカボンは伝えてくれます。

人はみんな天才バカボンになれる!

こんな漫画なら日本中で愛されないわけないですね。

人間は大変低い意識レベルから
崇高な思いがある高い意識レベルまで
同時に持っているのです。


その事実を受け入れることこそが
心の宇宙を丸ごと受け入れることです。

あなたも今日は天才バカボンになりませんか。」

◎赤塚不二夫さんの名言集を合わせてご紹介させていただきます。

「自分が最低だと思っていればいいのよ。
一番劣ると思っていればいいの。
そしたらね、みんなの言っていることがちゃんと頭に入ってくる。
自分が偉いと思っていると、他人は何も言ってくれない。
そしたらダメなんだよ。
てめいが一番バカになればいいの。」

「バカボンのパパってさ、
別にラクして生きているわけじゃないんだよ。
どうすれば家族を幸せに出来るかを考えながら
一生懸命ガンバってるわけ。
そのためには体ごとぶつかっていってる。」

「バカっていうのは自分がハダカになることなんだよ。
世の中のいろんな常識を無視して純粋な自分だけのものの見方や
生き方を押し通すことなんだよ。
だから、バカだからこそ語れる真実っていっぱいあるんだ。」

「ただバカっつたってホントのバカじゃダメなんだからな。
知性とパイオニア精神にあふれたバカになんなきゃいけないの。」

「懸命に夢を見て、その夢を紙の上に実際に描かなきゃならない。」

「頭のいいヤツはわかりやすく話す。頭の悪いヤツほど、難しく話すんだよ。」

「ひとりで考え、ひとりで素晴らしい作品を生み出す人なんて
そんなにいやしないよ。天才には必ずその天分を引き出す人間がいて、
そいつの方がもっとずっと天才だったりするんだ。」

小学校6年の時に手塚治虫先生の「ロスト・ワールド」に出会って
マンガ家になろうと決めて、栄養失調になってもそれを貫いてきた。」

「60才を過ぎた男がね、『死ぬのが怖い』とか言っちゃダメだって。
それまでの人生、何をやって来たんだと言うことでしょ?」


バカになるってけっこう難しいものですね。
皆さんは何か心に響く言葉はありましたか?

私は「知性とパイオニア精神にあふれたバカ」になりたいと思いました。




「嫌いな上司を好きになる方法」 致知出版社の『人間力メルマガ』より

19.09.18

2008年に開催された北京オリンピックでは、日本競泳陣の活躍が目立ちましたが、
その陰で選手たちに脳の使い方の指導に当たったのは、救急救命医療の第一人者でもある
林成之先生でした。
勝負に勝つ脳の使い方は、そのまま私たちの日常での脳の使い方にも通じます。

自分の能力を最大限発揮するための脳の使い方とは?
そして嫌いな上司を好きになる方法とは?


多くの人は「命懸けで頑張ります」と口では言いますが、
命懸けで脳が働くシステムを使っていないのです。

勝負の最中、前回のアテネオリンピックではこうだった、
昨日コーチにこう注意された、などと考えながら勝負をする。
これは作戦を考えながら戦っているので命懸けの戦いにならないのです。

命懸けの戦いとは、過去の実績や栄光を排除し、いまここにいる自分の力がすべてと考え、
あらゆる才能を駆使して勝負に集中する戦い方をいうのです。

これには「素直」でないとできません。

素直でない人、理屈を言う人はあれこれ考え、
その情報に引っ張り回されます。

素直な人は、過去も未来もない。
いまの自分でどう勝負するかに集中できるのです。

それと同時に、勝負を好きになること、
コーチ・監督や仲間を好きになることです。

だから選手の皆さんに言ったんです。

「皆さんのコーチ・監督は神様が皆さんに遣わした人たちですよ」と。

今回はスポーツという勝負の世界をクローズアップしてお話ししましたが、
私たち一人ひとりの人生の勝負は自分の才能をいかに引き出すかだと思います。

だから、家族も会社の社長や上司、学校の先生などみんな神様が遣わしてくれた人たち
だと思って好きになればいいのです。

会社がつまらない、上司が嫌いだと言っていたら本当は能力があっても
自分で自分の才能を閉じてしまうことになる。

ただ、人間ですから、どうしても合わない人や環境もあります。
希望じゃない部署に配属になることもある。

日常レベルでも、トラブルが起きたり、クレームがあったり、いやなことを
言われることもありますね。

その時は

「競争相手は自分を高めるツールと思う」

あの考え方で、このひどい環境が、この経験が、自分を磨くんだと思えばいいのです。

人間の脳は、海馬回だとか視床下部とかそれぞれが自分の機能を
果たしながらも連携を取りながら一つの脳として働いています。

逆に一つだけが傑出していても、連携が取れていなければ脳としては働きが悪いわけです。

私たち人間もまた、自分の持ち場で精いっぱい役割を果たし、意見や立場の違いがあっても
共に認めあって生きることが、結局は自己を生かす道だと思います。

そのためにも、脳の仕組みを知らずに勝負に負けたり、自分はダメだと
思ってしまったらもったいない。

人生の勝負に勝つために、自分自身の能力を最大限に発揮していただきたいと思っています。

林成之(日本大学大学院総合科学研究科教授)




藤森俊英先生の冊子にも、”素直”という言葉がでてきましたが、
林先生も「命懸けの戦い」は「素直」でないとできませんとおっしゃっていらっしゃいます。

私自身も「素直」でありたいと願っておりますが、
どうしたら「素直」になれるのでしょうか・・・・・?
「素直」に考えてみたいと思います・・・‼

明るく、笑顔で、素直に、積極的に

19.08.06

MCA学会のベーシック資格認定された、愛知県立五条高校の教諭で愛知県水泳連盟理事の
藤森俊英先生が特活課の資料として生徒たちに配布された冊子を紹介させていただきます。

藤森先生が長年にわたる教師そして水泳部のコーチとしての体験に基づく数々の珠玉の
言葉は、高校生に限らず多くの方々に共鳴していただけるのではないかと思います。


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「学校生活」の学校を社会、地域、家庭などに置きかえても全てに繋がると思いませんか?
私はことある毎にこの冊子を読み返しております。

一般社団法人MCA学会が設立されました

19.07.25

一般社団法人MCA学会が設立されました mca-s.org/

MCA学会は一時的な駆血と再灌流を繰り返すことで生命力を賦活させる駆血療法と、
筋肉を圧迫することで筋肉を低酸素状態にして行うトレーニングに関する研究組織です。


駆血状態から再灌流を繰り返すことで、局所及び全身へ血流が流れ、
血管が拡張し、毛細血管レベルまで血流が増加し、組織や細胞の回復力が上がる。
また駆血した低酸素状態で筋力トレーニングを行うと
効率よく速筋を鍛えることができる。



この療法及びトレーニングに関する情報収集および周知活動、より詳細な治療方法および
トレーニング方法の研究、医療、学術情報発信及び教育を行うことを目的としています。
この療法、トレーニング法を効率的に行うことのできる機器MCCマルチカフケア(以下MCC)の普及、
MCCの活用方法の研究と情報収集を行い、MCC使用者に発信し、患者、クライアントに安全に活用
していただくことで、広く国民の健康増進に寄与しています。



スポーツ事業
スポーツ分野においてケガをしない体づくりとトレーニングを行うことはもっとも重要な事です。
この両方を効率的に行うことのできる低酸素トレーニング(マルチカフケア)は各競技でのタイム向上、
パフォーマンスアップに貢献しています。

医療事業
医療機関にて利用されさまざまな臨床報告がでてきており、医療分野において革新的な健康機器として
注目され始めています。またフレイルサルコペニア、 ロコモティブシンドロームに対する予防として
利用され始めています。

学術研究
駆血と再灌流を繰り返す「血管トレーニング」と、筋肉を直接圧迫し血流を制限した低酸素状態にして行う
低酸素トレーニングが身体に及ぼす影響を研究、情報収集し効果とリスクを体系的にまとめ
情報を発信していきます。

教育事業
駆血と再灌流による「血管トレーニング」と筋肉を圧迫して低酸素状態にして行う低酸素トレーニング
この両方を効率的に行うことのできる機器「MCC」このMCCを安全にご利用いただくための教育事業として
講習と資格試験と育成を行っています。

・MCCベーシック資格認定講習及び認定試験
  駆血・再灌流と低酸素トレーニングの概念及びMCCの基礎と利用方法を学ぶ
  講座、及び資格認定試験

・MCCアドバンス講習
  MCCの応用方法、各専門分野の利用法を学ぶ。
  高齢者向け・美ボディ・プロアスリート・スイミング・陸上・ゴルフなど





仕事と人生に生かすドラッカーの教え・・・・・月刊『致知』より

19.06.04

ピーター・ドラッカーの説く「貢献」の意味を考えてみたいと思います。

・・・自由とは責任を伴った選択・・・

自由に仕事をしたいなら、責任を持つべし。
マネジメントを習得したものが至る一つの到達点です。

「自由とは解放ではない。責任である。楽しいどころか一人ひとりの人間にとって重い負担である。
それは、自らの行為、および社会の行為について自ら意思決定を行うことである。
そして、それらの意思決定に責任を負うことである。」『産業人の未来』

自由とは、何かに拘束されないという意味ではありません。
何かを信じ、何かを行う選択の可能性があるということです。
そう考えると指示や命令だけの仕事には、自由があるとはいえません。
選択の自由がなければ責任も生じないことになります。
自ら決定したことだからこそ責任と覚悟が生まれます。
ドラッカーが組織で働く者にとって意思決定は特別の扱いを受けるに値する、
と述べたのはこのためです。


・・・成果をあげるためなすべき貢献を問う・・・

「貢献」と聞くと社会貢献という意味を思い浮かべる人も多いと思います。
結果としてそこに通じるのですが、ドラッカーが用いた「貢献」とは、
組織が成果をあげるために一人ひとりが組織の中で、
「どのような貢献をなすべきか」と考えることです。

具体的には、上司、部下、同僚に対して次のように聞く事です。
「あなたが組織に貢献するためには、私はあなたにどのような貢献をしなければならないか」
「いつ、どのように、どのような形で貢献しなければならないか」『経営者の条件』

組織が手にする一つの成果は、多くの人の貢献がつながって実現するものです。
ちなみにドラッカーの「成果」は、組織が手にするものではなく、外の世界における変化を意味します。
端的に言うと顧客にどのような変化があるかということです。
たとえば、学習塾の成果は成績が上がることであり、治療院は痛みが軽減する事です。

どんな業種でも顧客に何の変化も起きなければやがて顧客はいなくなるでしょう。
顧客満足、という言葉が用いられることがありますが、その満足の中身が重要です。
「顧客にとっての価値は何か」や「われわれの成果は何か」を組織に属する人が共有して
はじめてその組織の「成すべき貢献」が決まります。
つまり、組織が一定の方向を示すことではじめて「成すべき貢献」を決めることができるのです。
こうして主体的に仕事をする組織の土台が形成されます。

「成すべき貢献」とは、自分勝手には決められません。
貢献の先に常に顧客がいるからです。
つまり、「なすべきこと」を「できること」に変えていくことが自己開発です。
仕事においては、顧客の存在抜きに「やりたいこと」が先行することはありません。

目の前の「なすべきこと」は、いろいろな縁の中でたまたま自分がさせてもらっているのです。
目の前のなすべき貢献、すなわち仕事をさせてもらっていることに感謝し、さらに自分を磨き高める
努力を続けることです。「やりたいこと」は、任された場で全力を尽くし、
その場を高めたその先に見えてくるものです。


・・・今いる場を高めるために貢献を問う・・・
「なすべき貢献は何であるかという問いに答えを出すには、三つの要素を考える必要がある。
第一は、状況が何を求めているかである。
第二は、自己の強み、仕事の仕方、価値観からして、いかにして最大の貢献をなしうるかである。
第三は、世の中を変えるためには、いかなる成果を具体的に上げるべきかである」
『P.F.ドラッカー経営論』

「貢献」は、個人と組織を結ぶ唯一の道具です。
組織の問題や課題の多くは、「貢献」という道具の不全によるものです。
正しく用いた場合の効果は予想以上です。
「貢献に焦点を合わせることによって、コミュニケーション、チームワーク、自己開発、
人材育成という成果を上げるうえで必要な四つの基本的な能力を身に着けることができる」
『経営者の条件』

自己開発と人材育成は、硬貨の裏表です。「なすべきこと」を明らかにして、「できること」に
変えていくこと。それが自己開発であり、人材育成のポイントです。

あなたの貢献は、顧客を通して世のためになり、一緒に働く人の貢献につながることで
人のためになっています。
あなたが今いる場を髙めるために「なすべき貢献は何か」を常に自問したいものです。


当社の「貢献」は何かを全社員とベクトルを合わせていくことの大切さを改めて噛み締めています。

母の力は偉大なり

19.05.17

5月12日は母の日でした。
私は12年前に7年間胃瘻で寝たきりの生活のままだった母を亡くしました。
家内の母も8年前に亡くなりましたから、「母」と呼べる人はもういません。

大正から昭和にかけて熱烈な説教講演で多くの信奉者を集めた
真宗大谷派の僧・暁烏敏の短歌があります。

人に十億の母あらむも
わが母にまさる母ありなむや

十億の人に十億の母がいる。
中には立派な母、優れた母もたくさんいるだろう。
だが、自分にとっては自分の母こそが
最高の母だ、というのである。

近年、母の力の衰えが感じられてならない。
虐待、教育放棄、果ては子殺し、頻出する事件はその突出した
表れのようである。

かつて、児童福祉施設は親を失い、寄る辺ない子どもたちの施設だった。
だがいまでは、虐待する親から子どもを引き離し、
守るための施設と化している現実が母の力の衰弱と無関係ではない。
母の力の覚醒が求められてならない。

『致知』2005年5月号特集「母の力」の総リードの一文です。

もう一つ忘れられないのは、坂村真民さんの詩です。

念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
この言葉を
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった


32歳の時にご主人が42歳の厄を越えずに急逝、女手一つで5人の子どもを育てる
苦しい日々の中で、お母さんが愚痴を言う代わりに口にしていた言葉
・・・念ずれば花ひらく・・・
その言葉が真民さんの生涯を貫く言葉となったのです。

母がいつもどういう言葉を口にしているか、
その言葉はいつしか子どもの人生を左右する大きな力になる。
そのことをこの詩は教えてくれています。

明治期、女子の教育の大事さに気づき、
実践女学校を創設した下田歌子はこういう言葉を残しています。

「社会風潮の清濁は、
その源男子にあらずして女子にあり・・・
まことに揺籃(ようらん)を揺るがす手は、
以て能く天下を動かすことを得(う)べし」

母親がその人格の光でどう子どもを照らしていくか。
それは国のあり様をも決定していく力になるということです。
その通りだと思います。

その母のあり様が当今、揺らいでいるといいます。
そういう若いお母さんたちに
心の糧となるような言葉を届けたい、という思いのもとに
6月12日に致知別冊『母』が発刊されます。
亡くなった母を偲んで読んでみたいと思います。






人生をひらく言葉と出会える

19.04.24

人生をひらく言葉と出会える--------月刊誌「致知」より


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ドロシー・ロー・ノルト(米国の教育学者)

自分に正直になったとき・・・・・大事なことに気づく

本気で何かをしているとき・・・・大事なことに気づく

捨ててもいいと思ったとき・・・・大事なことに気づく

変わってもいいと思ったとき・・・大事なことに気づく

少し待とうと思ったとき・・・・・大事なことに気づく

人に頼るのをやめたとき・・・・・大事なことに気づく

思いがけないところで・・・・・・大事なことに気づく

思いがけない時に・・・・・・・・大事なことに気づく

じっと見つめたとき・・・・・・・大事なことに気づく

じっと聞いたとき・・・・・・・・大事なことに気づく

新しい人に出会ったとき・・・・・大事なことに気づく

人を責めるのをやめたとき・・・・大事なことに気づく

失敗し失望したとき・・・・・・・大事なことに気づく

違う道を選んだとき・・・・・・・大事なことに気づく



大事なことに気づくのは、難しい事じゃない
いつも心を開いていたい
いつも耳を澄ましていたい
そうすれば、あなたは気づく
あなたは、出会う
本当の自分に。
まずは静かに、時間をかけて
噛みしめるように読んでみてください

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いかがでしたか。
ご自分の胸に響く一行に出会われましたか。
私たちは人生の様々な局面を味わう時、
そこで初めて気づくことがたくさんあります。
そういう時に触れた何気ない言葉は深く魂に浸透し、
人生を支える大きな力になることも少なくありません。
いまの体験をしっかり味わうことで
人生が花開く時が必ず訪れるはずです。

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ドロシー・ロー・ノルトさんの子育てに関する18の言葉です。
『子どもは大人の鐘』こころのチキンスープ 愛の奇跡の物語 より

子どもは、批判されて育つと人を責めることを学ぶ
子どもは、憎しみの中で育つと人と争うことを学ぶ
子どもは、恐怖の中で育つと自分を可哀想だと思うようになる
子どもは、馬鹿にされて育つと自分を表現できなくなる
子どもは、嫉妬の中で育つと人を妬むようになる
子どもは、ひけめを感じながら育つと罪悪感を持つようになる
子どもは、辛抱強さを見て育つと耐えることを学ぶ
子どもは、正直さと公平を見て育つと真実と正義を学ぶ
子どもは、励まされて育つと自信を持つようになる
子どもは、ほめられて育つと人に感謝するようになる
子どもは、存在を認められて育つと自分が好きになる
子どもは、努力を認められて育つと目標を持つようになる
子どもは、皆に分け合うのを見て育つと人に分け与えるようになる
子どもは、静かな落ち着いた中で育つと平和な心を持つようになる
子どもは、安心感を与えて育つと自分や人を信じるようになる
子どもは、親しみに満ちた雰囲気の中で育つと生きることは楽しいことだと知る
子どもは、まわりから受け入れられて育つと世界中が愛であふれていることを知る

あなたの子どもは、どんな環境で育っていますか?


私はとっくに子育ては終わっていますが、この言葉を子育てに限らず人との交わりの中で
大切にしたいと思いました。


『Good Luck』 ~幸運を手にする7日間の物語~

19.03.07

それは54年ぶりの運命の再会だった。
公園のベンチで幼なじみのジムと隣り合わせたマックスは、仕事も、財産も、
すべてを失い変わり果てた友人に、祖父から聞かされた「魅惑の森」の物語をかたった。
――グッドラックの見開きの言葉―― 『Good Luck』ポプラ社 より


Good Luckは「運と幸運の違い?」を7日間の「奇跡のクローバー」探しの旅から伝えます。
第一刷は2004年6月ですから15年も前の発刊ですが、私は先日中学一年生の孫娘にせがまれて
初めて行ったBOOK OFFのお勧めコーナーで知りました。

今まで本は、著者の苦労とか努力を考えると、申し訳なくてどうしても中古本を買う気には
なれませんでしたが、エコ的に考えればそれも有りかな?と勝手に解釈し、また題名にも惹かれて購入しました。

運につきましては、脳科学者 中野信子先生の“科学がつきとめた、「運のいい人」”について、
13年11月の「本日の視点」でも述べさせて頂きましたが、グッドラックには「運と幸運の違い」を
物語の中でエピソード毎にとても理解しやすく書かれています。

エピソード毎の注釈の言葉を紹介させて頂きます。

◎セントラルパークでの再会
運は、呼びこむことも引き留めることもできない。幸運は、自らの手で作り出せば永遠に尽きることはない。

☆エピソード➀「森へ」
誰もが幸運を手にしたがるが、自ら追い求めるのはほんのひとにぎり。

☆エピソード➁「新しい土」
幸運が訪れないからには、訪れないだけの理由がある。幸運をつかむためには、自ら下ごしらえをする必要がある。

☆エピソード➂「湖」
欲するばかりでは幸運は手に入らない。幸運を呼び込むひとつのカギは、人に手をさしのべられる広い心。

☆エピソード➃「木」
下ごしらえを先延ばしにしてしまえば、幸運は絶対に訪れてはくれない。どんなに大変でも、今日できることは
今日してしまうこと。

☆エピソード➄「小石」
自分の知っていることがすべてとは限らない。幸運をつかむには、あらゆる可能性に目を向けなくてはならない。

☆エピソード➅「地」
偶然しか信じぬ者は、下ごしらえをする者を笑う。下ごしらえをする者は、なにも気にしなくていい。

☆エピソード➆「月光」
幸運をエサにするような人は信じないこと。幸運は売り物でも、道具でもないのだから。

☆エピソード➇「暗闇」
できることをすべてやったら、焦らず、あきらめないこと。自分には必ず幸運が訪れると信じ、
甘い言葉には耳を貸さぬこと。

☆エピソード➈「風と雨」
幸運を作るというのは、チャンスに備えて下ごしらえをしておくこと。だが、チャンスを得るには、運も偶然も
必要ない。 それはいつでもそこにあるものなのだから。幸運を作るというのは、つまり条件を自ら作ることである。

☆エピソード➉「芽」
幸運の下ごしらえは、自分にしかできない。幸運の下ごしらえは今すぐに始めることができる。

☆この物語は、あなたに続く。幸運のストーリーは・・・絶対に偶然には訪れない。

◎あとがき
    この本を書くには、
    八時間しかかからなかった。
    だが
    この本を考えるのには
    三年もの月日がかかった。
    人はもしかしたら
    「たった八時間か」と思うかも知れない。
    だが、もしかしたら
    「三年もかかったのか」と思うかもしれない。
    前者は
    運の訪れを待つ者たちのこと。
    後者は
    運の下ごしらえをできる者たちのこと。




★付録のグッドラックの言葉の一部をご紹介します。

◎「いつお前は、夢を実現させるつもりか」と師が尋ねたところ、
弟子は「機会があればいつでも」と答えた。
師はそれを制していわく、「機会とは、常にそこにあるものだ」
アントニ・デ・メロ

◎幸運とは自ら動かない限りは決して訪れないものだ 
スティーヴン・リーコック

◎神はいつでも公平に機会を与えてくださる 
アルバート・アインシュタイン

人の成長のために働かないかぎり、自ら成長することはない

19.02.06

人の成長のために働かないかぎり、自ら成長することはない 
ピーター・ドラッカー

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愛読している月刊誌にドラッカーの教えが連載されることになりましたので、
その一部を紹介させて頂きます。

--- 組織は人を成長させる道具である ---

ドラッカーの思想の原点にあるのは「世のため人のため」という一言です。
この言葉には、組織という社会的道具の二つの目的が込められています。

組織の目的の第一は、世の中の人に喜ばれること。
具体的には魅力的な製品やサービスを提供することでお客様に満足してもらうことです。

目的の第二は、組織で働く人を成長させることです。
その実現のための基本的な心構えが、人の成長のために働くことです。
両者は相互補完的です。魅力的な製品やサービスを提供するための仕事をとおして
人は成長するということです。


「組織に働く者が成長するとき、組織はさらに多くをなしとげる。
しかも、組織が真剣さ、真摯さ、意識、能力において成長するほど
そこで働く者が人として成長する」
『変貌する産業社会』


誰もが組織の成長を願います。しかしそこに働く者の成長を真に願っている者は
どれだけいるでしょうか。組織の成長を願うならば、そこで働く者の成長に目を向け、
その手助けをしたいものです。

--- 成長とは自らの強みを生かすことである ---

では、私たち組織で働く者は、自他の成長のために、どのような姿勢で臨めばよいのでしょうか。
「おのれより優れた者に働いてもらう方法を知る男、ここに眠る」
アメリカの鉄鋼王といわれたアンドリュー・カーネギーの墓碑に刻まれた言葉です。
自社の繁栄と自己の成長は、部下の成長とともにあることを示しています。

「部下が・・・」と嘆くときこそ、心の底からその部下の成長を問い、
真摯に向き合うべきではないでしょうか。それは自分の成長の機会に他ならないのですから。


「成長は、常に自己啓発によって行われる。
企業が人の成長を請け負うなどいうことは法螺にすぎない」
『マネジメント』

人材育成とは人を育てることではなく、人が育つ土壌を作ることです。
結局、人は自らの力で自らを成長させるしかないのです。
自ら火を灯し、社会の一隅を照らすのは自らの覚悟しだいです。
ここに人の成長のために働くことの原点があります。


「自らの成長のために最も優先すべきは、卓越性の追求である」『非営利組織の経営』

人は持っているものでしか組織に貢献することはできません。
弱みや不得意なものでは、何ごとも成しとげることはできません。
強みや得意なことが一灯の火となるのです。

成長とは、自らの強みを仕事で発揮し、日々実践で磨くことです。
積み上がった実践量はあるとき仕事の質を変えます。
そのとき多くの人が「あのひとは・・・」と言うようになるでしょう。
卓越性が認められた瞬間です。自信がますます成長を促進させます。
自信は自惚れとは異なります。自己確信です。
上にある者の役割は、部下の美点を観て、伸ばすことだといえます。



--- 真の成長は人として大きくなることである。 ---


人は、仕事をとおして自らの強みを生かし、スキルを高めると同時に、
人とともに仕事をすることで人間性を鍛え、自らの人格を高め深めていきます。
そしてその自分をもって人の役に立つことを学んでいきます。それが成長です。

現代は組織社会です。一人で世の中の役に立つのではなく、
組織の使命(ミッション)の実現を目指してその一隅で仕事をし、同時に責任を果たすのです。

お客様に対する責任、ともに働く者に対する責任、会社に託されたお金に対する責任・・・
責任には種々ありますが、どの責任も人間の器を鍛え、成長させてくれるものです。

組織で人と働くということは、成長する環境に自らを置くことです。
組織は、人類が考案した社会的な道具です。組織に使われるのではなく、
道具として自らの成長のために使いこなしていきたいものです。

月刊「致知」2月号『仕事と人生に生かすドラッカーの教え』より


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