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『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』5月度

23.08.04

『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』5月度 致知出版社

致知出版社さんの『仕事の教科書』『生き方の教科書』併せて703名の方々の
言葉の中から時節や社会情勢も含めて選ばせていただいています。

5月度の中から私の心を熱くした3名のお言葉を紹介させていただきます。





以下、『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』致知出版社より


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一、荒行を乗り越えさせたもの
光永圓道 比叡山千日回峰行満行者・比叡山延暦寺大乗院住職

医学的には断食と断水の場合、一週間が生きられる限度といわれています。
そういう中で真言を唱え、お不動様を念じるわけですから、
本当に死と隣り合わせのギリギリのところまでいく。
生きることを一切否定して、仏様、お不動様に全心身をゆだねるわけです。
体力はどんどん落ち、身体もやせこけて頬がげっそりとそげ落ちてきます。
心臓に負担がかかるので本当にゆっくりとしか歩くことができなくて、
トイレも手伝っていただかないと行けなくなります。まさしく極限の状態ですが、
逆に意識は冴え渡って鋭敏になり、普段は決して聞こえない比叡山の麓を走る電車の音や、
駅のアナウンスまで聞こえたほどです。
堂入りを無事終えて出堂した時は、杖も握れないような状態でしたが、心の中は感謝の
気持ちでいっぱいでした。支えてくださった皆さんには、生まれて初めてではないかと
思うくらい、心の底から頭が下がりました。
堂入りが成満して「生き仏」などと言われますが、それまでの山廻りは菩提を求めての
自利行であったのに対して、そこからは化他行。自分のためにお山を七里半廻った上で、
人様のために京都洛北の赤山禅院まで七里半往復する赤山苦行や、京都市内を廻る京都
大廻りなどを経て、平成21年9月18日に無事、千日回峰行を満行しました。

確かに行の最中、小さな怪我は数え切れないほどしましたし、台風に遭遇したり、脱水症状で倒れたり、
たくさんの試練に遭遇しました。中でも一番大変だったのは、京都大廻りの時に脚を怪我したことでした。
累積疲労で脚がパンパンに腫れて、お医者さんからは絶対安静と言われていたんです。
その時脳裏に甦ったのは、小僧の頃にお師匠さんから言われた言葉でした。
行の最中に脚を痛めて引きずるような歩き方をしていたらしいんですが、
「脚をかばうな、引きずるな」と。かばいながら歩いたら、今度は別のところを痛めるんですよ。
ですが、かばわなければ痛いところはその一か所ですむ。言われた時は意味が分かりませんでしたが、
実際に自分の体で体験して初めて感得できるものなのですね。

結局京都大廻りの時は、それまでの歩き方で脚を痛めたわけで、歩き方を変えてひと月半
くらいかけて克服していきました。支えになったのはやっぱり周りの方々の力でした。
原因はすべて自分と思い定めてはいても、痛みを抱えながら歩き続けなければならない葛藤はある。
一人だったらいろんな意味で心が揺れてしまうんです。
でも街を歩きながらたくさんの見えないパワーをいただいているようで、行から戻ったら
小僧さんに担いでもらわないと移動できない状態だったのが、翌日草鞋を履いたら不思議と歩ける。
たくさんの方々の目に見えないパワーに後押ししていただいて続けることができたわけです。
改めて振り返ったら、それが仏様の力なのかなと。
仏様が姿形を変え、人伝えでいろんな力を与えてくださっているのを実感しました。







私には荒行体験はありませんが、10回近いインド・ブータン・チベットなどの
秘境&修行ツアーで出合ったサティア・サイババを始めとした数名の聖者達の物質化現象や、
数々の神秘体験から、光永圓道大阿闍梨の体験とはほど遠いですが、不思議としか言い表せない
現代科学の範疇を超えた現象があることを否定することは出来ません。






二、あなたは平和をつくるひとですか?
相馬雪香 難民を助ける会会長・国際MRA日本協会会長・尾崎行雄記念財団副会長

私が初めてMRA(Moral Re-armament*)のことを知ったのは昭和14年でした。
MRAはその前年、フランク・ブックマン博士(米国人牧師)の
「真の平和と民主主義は軍備ではなく、心と精神の再武装から」
との思想に基づき、ロンドンでMRA運動が開始され、以後世界各国にその活動が
広まったものです。
私は、そのMRAの運動を展開していた一人、ペッグ・ウイリアムズという女性と
出会います。
「男性が悪い、軍部が悪い、政治が悪い」と鬱積していた不満を吐き出す私に向かって、
彼女は「あなたのように男性が悪いんだ、政治が悪いんだと、人のことばかり責めているだけで
何か得られたのですか」と詰問しました。そう言われれば、人のことばかり責めていて、
憤慨するだけでは何一つ変わらないことを認めざるを得ませんでした。
最も身近な夫に対しても、いろいろ注文はあっても、私が望むようには一向に
ならなかったのですから。
「あなたは戦争は嫌だ、平和が欲しいと言うけれど、あなたのいるところで、
あなたは平和をつくる人ですか?」と聞かれたときも、グッと詰まってしまいました。
それというのも考えてみれば、私のいるところは喧嘩ばかりだったのです。

彼女の言わんとすることは、自分の周りに平和がつくれないで、どうやって
世界の平和を実現できるのかということでした。もっともな話だと思いました。
心に平和のない人間が平和を唱えることの矛盾。
朝から晩まで腹が立つばかりで、新聞を読んでは憤慨しているだけでは
どうにもならないということがよくわかりました。
「人を変えよう、社会を変えよう、世界をよくしようと思うなら、まず、あなた自身が
変わらなくては駄目です。世界の中でただ一人、あなたが変えることのできる人間は
あなた自身です」という言葉には目から鱗の落ちる思いでした。
彼女はさらにこう続けました。
「創造主(神)は、一人ひとりに計画を持っておられるのだから、それを求めて、
それに従って生きようとすることから始めるのです。まず、ありのままの自分を見ること。
人間はとかく自分は正しいと思いたいものです。でも、一本の指を人に向けるときには、
三本の指が自分を指しているのです。ありのままの自分を見るためには四つの物差しに照らして
自分を見ることが必要です。それは絶対正直、絶対無私、絶対愛という物差しです」
神様というのが嫌なら、心の声でもいい、虚心坦懐になったときに浮かんだ言葉を神に記せというので、
それならばと、やってみることにしました。


*Moral Re-armament 道徳再武装運動




戦後80年、今、日本には存続の危機が迫っています。
ロシアや、北朝鮮、そして中国の脅威を憂い、コロナウイルスを怖がり、
政治家が頼りない、信者8,000万人の巨大カルト、ザイム真理教(財務省)
の緊縮財政政策によって日本が沈没していくのが心配だ。
そして何よりも偏った報道しかしない日本のマスコミが
諸悪の根源だと、憤慨しても何一つ変わりません。
藤井聡 京都大学教授が提唱する「日本の未来のためにすべきこと」
を真剣に考えて、たとえ小さなことでも自分に出来る事を見つけて
取り組んで行かねばなりません。



















三、散っていった友の詩を語り続けて
板津忠正 知覧特攻平和会館顧問

いま、知覧には。年間70万人もの方が訪れています。人口わずか1万4000人の
あの町にですよ。景気の低迷でよその観光地はちょっと下火になっていますが、
知覧は逆に伸びる一方なんです。館内にある特攻隊員の皆さんの写真の笑顔を見て、
皆さん感動されるんです。これから死出の旅路に立つ者が、なぜあそこまで晴れやかな
笑顔を見せられるのか。以前、あれは強制的に笑わされた顔だ、という作家もいましたが、
強制されてあんな笑顔になるかってことね。いよいよ出撃の直前ともなれば、各々の
思いを、家族への手紙や辞世の句として残しました。私はそれらをほとんど諳んじて
いるんですよ。あれこれ説明するよりも、そうした絶筆を直接ご紹介した方が
出撃前の気持ちはよくわかると思います。

これは宮城県の相花信夫少尉、18歳が継母である母親に宛てて書いた絶筆です。

「母上、お元気ですか。長い間本当にありがとうございました。
我6歳のときより、育ててくだされし母。継母とはいえ、世のこの種の女にあるごとき
不祥事は一度たりとてなく、慈しみ育てくだされし母。ありがたい母、尊い母。
俺は幸福だった。ついに最後まで「お母さん」と呼ばざりし俺。幾度か思い切って
呼ばんとしたが、なんと意志薄弱な俺だったろう。母上お許しください。
さぞさびしかったでしょう。いまこそ大声で呼ばしていただきます。
お母さん、お母さん、お母さんと」


継母であるお母さんがどんな気持ちで読まれたか、察するに余りあると思うんですよね。

それから愛知県の久野正信大尉は全文カタカナで遺書を書かれました。5歳と2歳の
二人のお子さんがいらして、きっと一日も早く父親の心情を伝えたいと思われて
小学校低学年で習うカタカナで書かれたのでしょう。

「正憲、紀代子へ。父ハスガタコソミエザルモ、イツデモオマエタチヲ見テイル。
ヨクオカアサンノイイツケヲマモッテ、オカアサンニシンパイヲカケナイヨウニシナサイ。
ソシテオオキクナッタレバ、ヂブンノスキナミチニススミ、リッパナ
ニッポンヂンニナルコトデス。ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。
「マサノリ」「キヨコ」ノオトウサンハ、カミサマニナッテフタリヲヂットミテヰマス。
フタリナカヨクベンキョウヲシテ、オカアサンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ
「マサノリ」「キヨコ」のオウマニハナレマセンケレドモフタリナカヨクシナサイヨ」


旅立った特攻隊員がただ気がかりだったのは、自分たちが死んだ後で
日本がどうなっていくのか、ということでした。

こんな辞世の句があります。

「国のため 捨てる命は 惜しからで ただ思わるる 国の行く末」
「風に散る 花の我が身は いとわねど 心にかかる 日の本の末」


特攻隊員たちは皆、平和を望んでやまなかった。生き残った私は、彼らの語り部として
やっていく以外にその方法が思い浮かばなかったから、一途にこれをやり続けたわけです。





あなたは知覧に行かれたことがありますか?
私は年ほど前に2度行かせていただきました。
この中で紹介されている相花信夫少尉、5歳と2歳の2人のお子さんに宛てた久野正信大尉の他
数多くの家族への遺書とも言える手紙は涙で目が霞んでしまい、とても読み切れませんでした。
板津さんは一途に自分たちが死んだ後の日本の将来を憂いて沖縄の海に飛び立っていった
彼らの思いを語り部として後世に伝え続けられました。
混迷の今こそ私たちは失ってしまった日本人の心を何としても取り戻さなくてはなりません。
そんな想いに知覧はさせてくれます。