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『そもそも民主主義って何ですか』宇野重規 著 より

22.07.28

「戦後生まれの私は、日本は民主主義国家だと学校で教えられ、
深く考えることもありませんでした。成人してからは
1971年のドルショック、1973年の第4次中東戦争から
1979年のイラン革命に端を発したオイルショック、
2008年9月のアメリカの有力投資銀行リーマンブラザーズの破綻を
契機として、世界的な金融不安が発生したリーマンショックなど、
大きな政治的・経済的な出来事が発生した時でも、日本の民主主義を
疑うことはありませんでした。
しかし、2019年12月に中国の武漢から始まった世界的なコロナパンデミックに
対する日本政府の対応と一部の専門家と医師の発言と共に、それらを
報道するメディアの偏った姿勢は公正ではないと感じ始めました。
その想いは意味の無いPCR検査の拡大のみならず、あくまで治験であり、
自主的な判断で決めるべきコロナワクチンの接種を社会的圧力により
子供達にまで広げようとする政府と、それを煽るようなメディアの対応は、
とても民主主義国家とは思えず、このままでは日本は何処に行ってしまうのかと
不安でなりませんでした。
そのような想いの中で本書と出合い、あらためて民主主義を考えると共に
令和臨調の発足を知り、日本の将来に微かな光が見えてきました。
皆様と一緒に日本の将来の為に「民主主義」について真剣に考えていきたいと
思っております。」




民主主義について前書を書いた後、多くメッセージを頂きました。そのなかに「民主主義は素晴らしい、でも難しい」
というものがありました。くださったのは、日本語を読むことができる海外の方です。その方は、自分の祖国のことを
念頭に置かれていたのでしょう。
「民主主義はとても素晴らしいものです。贅沢なものであり、その国を取り巻く外部条件や、経済状態が変化すると、
たちまち機能しなくなることがあります。また、ポピュリスト政治家によっても、民主主義はあっという間におかしく
なります。一人ひとりの国民が自立して、なおかつ恵まれた環境があって、はじめて民主主義はうまくいきます。
やはり民主主義はとても難しいものだと思います」とのことでした。
「民主主義は贅沢」という言葉に、頭をガツンと打たれた気がしました。

というのも、民主主義というと、この数年、ややもすれば否定的なことばかりが語られてきたからです。
「民主主義は決定に時間がかかり、パンデミックのような危機の時期にはふさわしくない」「民主主義がつねに正しい
わけではない。民主主義はしばしば過ちを犯す」「民主主義はもはや時代遅れだ。優れた政治家のレーダーシップと
決断が必要だ」などなど。
あたかも「もう民主主義はいらない」といわんばかりの言葉に、私たちは日々接しています。民主主義といわれた
ところで、その実感もなければ、手応えもない。そうだとすれば、民主主義のどこがありがたいのか、まったく
わからないというところでしょう。あるいは、書店に行っても「民主主義の死に方」や「民主主義の壊れ方」
といったタイトルが目につきます。

しかし、ここにきて、時代の変わり目を感じています。大きな転換期となったのは、ロシアによるウクライナ侵攻でした。
ロシア側にいかなる言い分があるにせよ。現代において武力による国境変更が認められるはずはありません。国際秩序に
対して責任をもつべき安全保障理事会の常任理事国による蛮行は、世界に衝撃を与えました。なぜこのような決定を
ロシアはしてしまったのか。誰もが感じたのは、独裁的指導者の恐ろしさでした。
独裁者が何らかの理由で暴走した場合に、それを歯止めをかけることは容易ではありません。民主主義を抑圧した体制は、
自国内の多様な意見を政治に反映することもできなければ、国際社会からの要請に応えることもできません。民主主義には
本来、一時的に間違った決定をするとしても、必ず自己修正能力があるはずです。(現在の政権と異なる意見や考えを、
完全に無視するわけにはいかないからです。)これに対し、独裁体制は、うまくいっているように見えても、いつの日か
必ず過ちを犯し、その場合に自らを修正する能力を持ちません。長い目で見れば、民主主義体制の方が必ず優位になる
はずです。
しかし、そのような民主主義は「贅沢」なものでもあります。いついかなる時代においても、そしてどのような国で
あっても、望みさえすれば必ず手に入るものではないのです。例えば、まわりを強力な独裁国家に囲まれていれば、
ひとつの国だけで民主主義を維持することは容易ではないでしょう。自国の内部で激しい対立が存在し、内戦になる
ような状況であっても、民主主義はなかなか存続できません。指示が混迷し、誰もが悲観的になり、無気力になって
しまえば、やはり民主主義は難しくなります。
民主主義とは、自分たちの社会を、自分たちで動かしていくことです。「自分が何をしても、どうせ社会は変わらない」
とみんなが思えば、その予言は、必ず自己実現的に成就してしまうのです。

残念ながら、現状の世界において、いくらも望んだとしても、直ちには民主主義を手にすることができない国々が
あることを、私たちは知っています。
間違いなく、民主主義は「贅沢」なものです。そして民主主義は容易に損なわれてしまう「なまもの」なのです。
その価値は、失われてみて、はじめて痛切に感じられるのでしょう。
しかし、それでは私たちは民主主義を、自分たちのものとして大切に育て、未来に受け継がれていくように努力している
でしょうか。一人ひとりが民主主義を担うにふさわしい、自立した思考をもつと同時に、異なる意見や考えに対しても
開かれた態度を維持しているでしょうか。
「贅沢」な民主主義をいまこそ大切にするために、この本を書きました。
「そもそも民主主義って何?」と考える多くの読者に、本書が届くことを願っています。そして、ともに民主主義を維持し、発展させていきたいと心から望んでいます。
もうひとつ、いただいたメッセージを紹介したいと思います。やはり民主主義について対談したときのことです。
イベントの最後に、視聴者の皆さんからコメントを受け付けました。その最後にこんな質問が届きまた。
「責任はひとりで引き受けると苦しいですが、仲間と分け合うことで、自分の暮らしとまわりの暮らしをより強く
柔軟なものにしてくれるように思います。それも民主主義のよさでしょうか?」。
そのときもそう答えましたし、いま改めてお答えしたいと思いますが、「その通りです」。

私は民主主義とは「参加と責任のシステム」だと考えています。
自分が参加し、決定したことだからこそ、責任をもつ、そのような一人ひとりの想いに支えられているのが、
民主主義です。逆にいえば、「自分は政治に参加していないし、だから責任をもてといわれてもピンとこない」と
誰もが思うのであれば、それは民主主義とはいえません。いまや民主主義が極めて危うい状態にあることは間違い
ありません。

でも、もし自分のまわりに仲間がいたら、そしてともに地域や国の課題に取り組んでいるという実感をもつことが
できたら、責任を分かち合うことはむしろ自分の力になってくれるかもしれません。「自分はどこにも属していない、
居場所なんてない」と思っている人がいるとすれば、そのような方にこそ、本書を手に取ってほしいと思います。
そして民主主義を担う「仲間たち」を見つけてほしいと思います。

2022年5月23日 宇野重規


『そもそも民主主義ってなんですか?』宇野重規 著 東京新聞社 より
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