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「死中活あり」 Ⅱ 到知出版 月刊「到知より」

22.02.24

いまを生きよ いまを生き切れ
多摩大学大学院名誉教授 田坂塾 塾長 田坂 広志

世界はいま、コロナ危機という死中にある。
出口の見出し難いこの長いトンネルを、私たちはいかに歩んでいけば
よいのだろうか。豊富な経営体験にもとづき、より良い人生や仕事を
全うするための心の技法を唱導する田坂広志氏に、若き日の大病の
体験を交え、この死中に活を見出すために求められる覚悟について
お話しいただいた。









今回ご紹介する田坂広志氏のお話しは多少長くなりますが、
私は何度も読み返して、心からの感動と共に、不思議な安心感に
包まれました。どうぞ最後までお付き合いくださいましたら幸いです。



■絶望の底で得た気づき、生死の境で掴んだ覚悟

三十二歳のとき、私は重い病を患い、医者から「もう長くは生きられない」との宣告を受けました。
医者から見放され、自分の命が刻々失われていく恐怖と絶望の日々、両親は私に、ある禅寺に
行くことを勧めました。藁をも掴む思いで、その寺に行きましたが、そこには何かの不思議な
治療法があるのでは、との期待は、すぐに打ち砕かれました。
寺を訪れると農具を渡され、ただひたすら畑仕事で献労をすることが求められたのです。
明日の命も知れぬ自分が、なぜこんな農作業をやらねばならないのか。
そう思いながら鍬を振り下ろしていると、不意に横から「どんどん良くなる!どんどん良くなる!」
と叫ぶ声が聞こえてきました。見ると一人の男性が懸命に鍬を振り下ろしている。しかし、その足は
大きく腫れ上がり、ひと目で腎臓を患っていることが分かりました。
休憩時間に声を掛けると、その男性は言いました。「もう十年、病院を出たり入ったりですわ。
一向に良くならんのです。このままじゃ家族が駄目になる。自分で治すしかないんです!」
その覚悟の言葉が胸に突き刺さってきました。そして、その瞬間、一つの思いが沸き上がってきました。
「そうだ、自分で治すしかないんだ!」それまで自分は、医者が治してくれないか、この寺が何とか
してくれないかと、常に他者頼みであり、自分の中に眠る無限の生命力を信じていませんでした。
それが最初の気づきでした。

それから数日後、山の中腹の畑を耕しに行くことになりました。
当番になった私が仲間に農具を配り終え、先に出発した仲間を追って山道を登り始めると、
思わず言葉を失う光景を目にしました。
それは、足を患っている献労仲間の老女が、鍬を杖にして、山道を必死に登っていく姿でした。
農作業はおろか、歩くことすら困難なのに、不自由な足で、鍬にすがりながら山道を
登っている。しかし、その後姿から老女の覚悟の声が聞こえてきました。
「たとえ畑に辿り着けなくとも良い!私は全身全霊、この命を振り絞って登り続けます!」
私は思わず心の中で手を合わせ、「有難うございます。大切な事を教えて頂きました」と
念じながら横を通り過ぎていきました。

■「人間死ぬまで命はあるんだよ!」

その献労の日々を続け、寺の禅師との接見がかなったのは、ようやく九日目の夜でした。
禅師は、力に満ちた声で私に聞きました。
「どうなさった」「はい、実は・・・」
私は堰を切ったように苦しい胸の内を吐き出しました。・・・・・
禅師はきっと、何か励ます言葉をかけてくれるに違いない。そう期待しながら
語りました。私の話を聞き終えて、しばしの沈黙の後、禅師は言いました。
「そうか、もう命は長くないか」「はい・・・・・」
その後、禅師は、腹に響く声で力強く、こう言ったのです。
「だがな、一つだけ言っておく。人間、死ぬまで命はあるんだよ!」
一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。当たり前のことを言われた気がした。
しかし禅師は続けてもう一つ、力強く言葉を語ると、接見を終えました。
私は部屋を出て長い廊下を戻りながら、禅師の言葉を思い起こしました。
その瞬間、突如、気づいたのです。
そうだ、禅師の言う通りだ!人間死ぬまで命があるにも拘らず、私はもう死んでいた!
どうしてこんな病気になってしまったのかと「過去を悔いる」ことに延々と時間を使い、
かけがえのない、いまを生きてはいなかった。
その瞬間、禅師が続けて語った言葉が、心に甦ってきたのです。

「過去は無い。
未来も無い。
有るのは、
永遠に続くいまだけだ。
いまを生きよ!
いまを生き切れ!」


この言葉が胸に突き刺さってきました。そして、このとき、私は、
一つの覚悟を心に定めたのです。

「ああ、この病で、明日死のうが、明後日死のうが、もう構わない!
それが天の定めなら仕方ない。しかし、過去を悔いること、未来を憂うることで、今日という
かけがえのない一日を失うことは、絶対にしない!今日という一日を、精一杯生き切ろう!」

そして、そう覚悟を決めた瞬間、私は病を超えたのです。もとより、奇跡のように病が治った
わけではない。しかし、心が病に囚われなくなったのです。・・・
その結果、不思議なことに病の症状は十年続きましたが、最後は病が消えていったのです。

■病とは福音なり 逆境とは好機なり

しかし、私が得たものは、それだけではありませんでした。
病を超える生命力の横溢とともに、自分の中に眠っていた様々な才能が開花していったのです。
そして、さらに、不思議なほど良い運気を引き寄せるようになったのです。・・・
しかし、それらは、すべて、この生死の体験で掴んだ「いまを生き切る」という覚悟と生き方が
引き寄せたものと思っています。
世に「病とは福音なり」という言葉がありますが、病気になることは一見不運なことのようで、
実は幸運の兆しでもあるという人生の深い真理を教える言葉です。
私の人生は、まさに、この言葉が真実であることを教えてくれています。
いや、それは、私だけではない。我々が、この言葉を信じて歩むならば、人生で与えられる
逆境とは、実は成長の機会であり、危機とは、実は好機なのです。
いま、世界はコロナ禍という死中にあります。そして、この未曽有の危機と逆境の中で、
多くの経営者が悪戦苦闘を余儀なくされ、多くの人々が、心理的不安と経済的苦境の中にあります。
しかし、冒頭に述べた私の体験から申し上げるならば、どれほどの危機も逆境も、我々の覚悟次第で、
好機に転じることができるのです。死中に活を見出すことができるのです。
では、どうすれば、人生の危機や逆境を好機に転じることができるのか。
そのための方法としては、古今東西、ただ一つのことが語られています。
それは、心に「ポジティブな想念」を持つことです。

その理由は、三つあります。

第一は、喜びや希望、安心や感謝などのポジティブな想念に包まれると、
生命力が横溢し逆境を越える力と叡智が湧き上がってくるからです。

第二は、ポジティブな想念を抱いていると、自分の周りからネガティブな
想念の人が離れていき、ポジティブな想念の人が集まってくるからです。

第三は、ポジティブな想念を持っていると、自然に悪い運気が去っていき、
良い運気を引き寄せるからです。

■心にポジティブな想念を持てない「本当の理由」

しかし、このことは、誰もが分かっていながら、実は、心にポジティブな想念を持つことは、
決して容易ではありません。
その理由は、我々の心には、「双極性」という厄介な性質があるからです。
すなわち、我々の心は、あたかも電気のように、プラスの電荷が生まれると、同じだけマイナスの
電荷が生まれるのです。
それが古今東西、多くの書籍で「ポジティブな想念を持てば、良い運気を引き寄せ、良き人々が
集まり、生命力と叡智が湧き上がってくる」と語られながら、それを実践することがなかなか
できなかった、本当の理由です。
では、どうすれば良いのか。
この「心の双極性」の問題を超え、心にポジティブな想念を持ち、目の前の逆境を越えていくためには、
どうすれば良いのか。
ここでは、その要点を述べておきましょう。
それを一言で述べるならば、ネガティブな想念が生まれない
「絶対肯定の人生観」を定めることです。
では、その人生観とはどのようなものか。

絶対肯定の人生を掴む「五つの覚悟」

それは、次の「五つの覚悟」を定めた人生観であり、「絶対肯定の逆境観」
とも呼べるものです。

◎第一の覚悟は、
「自分の人生は、大いなる何かに導かれている」と信じることです。


ここで「大いなる何か」とは、神、仏、天など、人智を超えた存在のことですが、
古今東西の一流の人物は、例外なく、大いなる何かの存在と導きを信じることによって、
様々な逆境を越え、素晴らしい人生を拓いています。
しかし、それは一流の人物だけではありません。誰にも、「あの人と出会ったことで、
人生が好転した」「あの出来事があったから、進むべき道が見えた」
といった体験はあるでしょう。そのことに気づき、自分の人生は大いなる何かに
導かれていると覚悟を決めた瞬間に、心の中に「不思議な安心感」と
呼ぶべきポジティブな想念が広がっていくでしょう。

◎第二の覚悟は、
「人生で起こること、すべて、深い意味がある」と考えることです。

この覚悟を定めると、自然に心の中に、「この逆境は何を意味しているのか?」
「大いなる存在はこの逆境を通じて何を学べと言っているのか?」
という問いが生まれてきます。そして、この問いを抱くとき、いかに
「悪しき出来事」と思える逆境にも、我々の人生を導く「良き意味」
があると考えられるようになります。そして、人生で与えられる、
いかなる逆境にも、大切な意味があると受け止めることができるならば、
心の中の後悔や慚愧、不安や恐怖などのネガティブな想念は、
自然に消えていきます。

◎第三の覚悟は
「人生における問題、すべて、自分に原因がある」と引き受けることです。

なぜなら、自分以外に原因があると思うと、ネガティブな想念が湧き上がって
くるからです。仕事で失敗に直面したとき、「あの部下がミスをしたからだ」
と考えた瞬間に、心の中に、批判や非難、不満や怒りといったネガティブな想念が
生まれてしまいます。
ここで、自分に原因があると「引き受ける」ことは、決して自分を責めることでは
ありません。それは、自分に原因があると受け止めることによって、自分の成長の
課題に気がつき、さらに大きく成長していけると考える、極めてポジティブな想念
なのです。

■「大いなる何か」が自分を育てようとしている。

◎第四の覚悟は逆境に直面したとき、
大いなる何かが、自分を育てようとしている」と受け止めることです。

すなわち、「いま、大いなる何かが、この逆境を与えることによって、自分を
成長させようとしている。そして、その成長した自分を通じて、素晴らしい何かを
成し遂げさせようとしている」と受け止めることです。
その解釈ができるならば、それは、いかなる逆境も肯定的に捉える「絶対肯定の逆境観」
に他なりません。

◎第五の覚悟は、
「逆境を超える叡智は、すべて、与えられる」と思い定めることです。

誰しも逆境に直面すると「この問題は解決できるだろうか」という不安や無力感に包まれ、
ネガティブな想念に囚われてしまいます。そのとき「大いなる何かが、自分を導いている。
されば、この逆境を越える叡智は必ず与えられる」と深く念じるならば、不思議なほど
心が静まり、勇気が湧き上がってきます。

以上が、「絶対肯定の人生観」と「絶対肯定の逆境観」を定めるための
「五つの覚悟」ですが、この覚悟を定めると、人生において与えられる様々な苦労や困難、
失敗や敗北、挫折や喪失、病気や事故、そうしたすべての逆境を肯定的に受け止める視点が
定まります。そして、その結果、心がポジティブな想念で満たされるため、生命力と叡智が
湧き上がり、良き人々が集まり、良い運気を引き寄せるようになります。
特に、この「良い運気」という意味では、逆境を越えるきっかけとなる「不思議な偶然」が
しばしば起こるようになります。

■「使命」とは「命を使う」こと

しかし、この「絶対肯定の人生観」を身につけるためには、ここまで述べてきた
「逆境観」と「五つの覚悟」を定めることに加え、さらに二つ、大切な人生観を
身につける必要があります。

・その一つが「死生観」です。
私が若い頃に薫陶を受けた、ある経営者は、重大な経営危機に直面したとき、
部下に対して、「命取られるわけじゃないだろう!」と語り、彼らを鼓舞して
危機を脱しました。この経営者は、太平洋戦争で死の淵から生還した体験を持ち、
死生観が定まった人物でしたが、その言葉には「生きているだけ有り難い!」
という感謝と絶対肯定の精神が宿っていました。

・もう一つ大切なことは、「使命観」を持って生きることです。
この「使命」という言葉は素晴らしい言葉。なぜなら、それは「命を使う」と
読めるからです。そして、「自分は、この仕事を通じて世の中に光を届けよう」
「自分は、この仕事に人生(命)を捧げよう」と思い定めている人は、
いかなる逆境がやってきても強い。
それゆえ、もし経営者やリーダーが、本気で社員や部下に、事業や仕事の志や
使命観を語るならば、社員や部下もまた、ポジティブな想念を抱き、逆境を越える力と
叡智が湧き上がってくるでしょう。

■絶対肯定の想念を掴む、「二つの祈り」

以上述べた「逆境観」「死生観」「使命観」を定めることができれば、
我々は「絶対肯定の想念」を身につけることができるでしょう。

しかし、こうした「絶対肯定の想念」を、さらに確固としたものとして
身につけるためには、日々、行うべき習慣があります。

それは「祈り」の習慣です。
ただし、ここで言う「祈り」とは、大いなる何かに、こうして頂きたい、
ああして頂きたいと願う「願望の祈り」ではありません。そうした祈りは、
心の双極性がゆえに、必ず、心の中に「この願望が実現しなかったらどうしよう」
というネガティブな想念を生み出してしまいます。
それゆえ、私が田坂塾において塾生に勧めているのは、すべてを肯定する
「絶対肯定の祈り」です。この祈りには、二つあります。

・一つは、すべてを大いなる何かに委ね、ただ「導きたまえ」と祈る
「全託の祈り」です。


・もう一つは、いかなる逆境が与えられても、ただ無条件に「有り難うございます」
と祈る「感謝の祈り」です。


この二つの祈りを日々の習慣とするならば、必ず「絶対肯定の想念」が身についてきます。
さて、こう述べてくると、「死中に活あり」という言葉の真の意味が理解できるでしょう。
この言葉の真の意味は、「この逆境においても活路を見出す」という受け身の意味ではありません。
それは、「天が与えた逆境においてこそ、人生の活路を見出すことができる」という
絶対肯定の意味に他ならないのです。


引用:月刊「致知」より



田坂広志氏の著書をご紹介いたします。
『すべては導かれている』(小学館)
『運気を磨く』『運気を引き寄せるリーダー七つの心得』『人間を磨く』(いずれも光文社新書)など