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純粋な気づきがもたらす驚異の癒し

20.07.01

「気づき」それは私たちの住む世界を穏やかにし、生き生きとさせ、
夢のような世界に変容させるための手法であり、生き方です。
端的に言うと「気づき」に秘められた癒しと再編成力に気づくことで、
人類が直立歩行し、人間として生き始めて以来ずっと苦しんできた
多くの問題が解決されるのです。

「明かされた秘密」

人生の究極的価値は、ただ生き延びることよりも気づきと黙想の力にかかっている
アリストテレス


あなたにとって、人生で一番大切なものは何ですか?
どんなことが思い浮かんだでしょうか。
健康?家族?仕事?それともアイスクリーム?
この質問への答えは「気づき」です。

気づきとは、心(マインド)のことではありません。
心が電球だとすると、気づきはその電球に光を灯す電気です。
気づきが曇っている時の心は、混乱と誤解に満ち、究極的には苦しみを生み出します。

一方、気づきの先に明るく照らされた心は穏やかで、現在にあります。
そして安らかな優しさにあふれまわりの人たちの気持ちを楽にします。
気づきを自分の「内なる光」と見ることができれば、その途方もない重要性が
よくわかるでしょう。

気づきの質が、人生の質を決定します。気づきが生き生きと
目覚めているかどうか、それが決定的に重要なのです。

たとえ話をしましょう。

あなたが真っ暗な部屋の窓辺に座っているとします。
夜明けが近づいて部屋にほんのりと光が差し始めたとき、
あなたの足元になにか得体の知れないものがあることに気づきます。

何だろうと思って眺めているとあたりが明るくなるにつれて
徐々にその物体の姿がはっきり見えてきます。

突然、恐ろしいことに、それがとぐろを巻いた蛇であることに気づきます。
今にも襲ってきそうに見えます。あなたは恐怖で固まります。

「毒蛇だろうか?ちょっとでも動いたら攻撃してくる?咬まれたらどうしよう?」
と、狂乱的思考が次々と心に湧き上がります。

部屋の中に少しずつ夜明けの光が増していくあいだ、あなたは石のようにじっとしています。
ところが、なぜか蛇は襲ってこない。それに気づいたあなたは少しホッとして、
わずかに思考が働き始めます。体は硬直して動かないまま、頭は逃げるためのシナリオを
素早く組み立てます。

そのとき、太陽が昇り、さっと窓から差し込んだ朝日が、室内を淡い黄金色の光に染めます。
すると、まるで闇が稲妻の光に照らし出されたかのように、一瞬であなたはその蛇が
実は巻かれたロープであったことに気づくのです。

あなたは恐れを感じました。あなたの心は凍りついて停止し、思考は割れたガラスのように
散乱しました。その間ずっと、硬直した体は血液中にストレス・ホルモンを送り出し続け、
戦いに備えていました。
このわずかな時間にあなたは何カ月分も歳をとってしまったかもしれません。
なぜでしょう?ひとことで言えば、実際には脅威の存在しないところに
脅威を認識してしまったからです。

気づきの質が、人生の質を決定します。

気づきが正常に機能していない状態というのは、この暗闇と同じです。

過労・運動不足・薬物・お酒・偏食・怒り・欲・悲しみ。
こういったことのすべてが気づきを鈍らせ、恐れの無い目で世界を
認識する力を奪います。

私たちの人生は「認識された脅威」に満ち満ちています。

お金という蛇。仕事という蛇。家族という蛇。

映画館や海辺のように楽しい場所へと車を走らせているときでさえ、
交通渋滞で気分がぶち壊しになり、血圧が上がり、感情が爆発する。

「戦うか逃げるか」の時代に生きる私たちは、ありとあらゆる場所に
「蛇」を認識するのです。

では、この認識をどうやって変えればいいのでしょう。

どうすれば明るい光をたっぷり受け取って、蛇が実はロープであることを
白日のもとにさらすことができるのでしょうか?

そう、もっと気づくようになることです。

気づきは、太陽の光のようなもので、感情と思考をただ照らしてくれます。
ぼんやりとした頭も、混乱した心も、気づきの光にきちんと照らされていないのです。
私たちは、気づきという燃料を使って認識します。
「純粋な気づき」は決してロープに騙されることがありません。

「戦うか、逃げるか」の時代に生きる私たちは
ありとあらゆる場所に「蛇」を認識するのです。


ほとんどの時間、私たちの心は自動運転になっています。
絶え間ない内面のおしゃべりは、まさに思考が暴走している良い例です。

今日ではあまりに活発すぎる頭脳が一般的になりすぎ、それが当然と
見なされていますが、実はそのために大量のエネルギーを浪費し、
いつもトラブルに巻き込まれることになります。

先のことを心配する。過ぎたことを思い悩む。
退屈、不満、怒り、不安、恐れ。
これらのすべてが「蛇のように見えるロープ」です。
気づきが曇っているせいで、世界は恐るべき場所になってしまうのです。

気づきはいつどこにでもあるのに、私たちはそれに注意を払っていません。
奇妙な話ですが、本当にそうなのです。

ふだん私たちは、日常生活を形づくる物事や、人々に関する考えに
没頭しています。そうした考えの「内容」には気づいていますが、
では「気づき」に気づいているでしょうか?
ほとんど気づいていません。

たとえ純粋な気づきが歩み寄ってきて、私たちに握手を求めたとしても
まだ私たちは気づかないのです。でも、これからすべてが変わります。

気づきはいつでもどこでもあるのに、
私たちはそれに注意を払っていません。


ちょっと待って・・・たったそれだけ?気づき?それが秘密?
あなたは今、ちょっとがっかりしているかもしれません。

私だって、まだ道のなかばの段階で
「ただ起こっていることに気づくだけで宇宙の秘密が手に入る」
なんて聞いたら、やはり同じように感じたでしょう。
それに、あなたは私が何について話しているのかも、
よくわからないかもしれません。
なぜなら、純粋な気づきは頭や心でとらえることはできないからです。
写真に撮ることもできません。気づきは、物でも、考えでも、感情でもありません。

ですから、頭で理解したいと思っていれば、たぶんそれについて話すだけで
苛立ちをおぼえるでしょう。
気づきは、物理的なものでないので、カナヅチのように手につかんで
使うことはできません。ところが、ひとたびあなたが純粋な気づきを
体験するやいなや、(いえ、実際には体験はできないのですが)
そのすべてが完璧に見事に意味をなすのです。

この時点で混乱していても心配はいりません。
気づきについてまったく理解していなくても、それを使って
素晴らしい成果をあげることはできます。

とはいうものの、こんなにすぐに気分が良くなる理由をほかの人に説明するには、
やはり何らかの知識があったほうが助けになるでしょう。

あなたも、いつのまにか楽しく奇跡を創造するようになります。
そのとき、あなたにとって純粋な気づきは呼吸と同じくらい自然なものになっているでしょう。

オッケー。心の準備はできましたか?では、次に進みましょう。

気づきについて全く理解していなくても、
それを使って素晴らしい成果をあげることはできます。










この続きにご興味のある方は、右記の本を
お読みください。正直、私も皆様へこの本を
紹介するかどうか悩みましたが、
「気づき」という言葉にとらわれずに
第5章 思考のはざまの空間を読んで
皆様にお伝えしようと心が決まりました。





ちなみに、そこにはブッダの言葉が紹介されています。

「一輪の花の奇跡をはっきりと見ることができれば、
私たちの全人生が変わるでしょう。」









第6章 私とは誰か? の章にはソクラテスのことばが紹介されています。

「唯一の真の知恵とは、自分が何も知らないということを知ることだ」


フランク・キンズロー『瞬間ヒーリングの秘密』より