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サンタクロースなんているの?

19.12.19

今から100年ほど前、「サンタクロースなんているの?」
と新聞社に投書した少女がいました。
その子の名はバージニア・オハンロン。
彼女は8歳の女の子。
学校でサンタクロースにお願いするプレゼントについて友達と話していました。
ところが、クラスメイトの男子から
「おいおい、サンタなんかいるわけないだろう。お前ってホント子どもだなあ」
と、からかわれてしまったのです。

現代でも、サンタクロースを信じている子に対して、こんな言い方をしている子がいます。
目に見えない世界を信じるなんてバカげていると、唯物主義が正義で知識人であるかのように、
したり顔する人種です。

誰もがサンタクロ―スを信じていた頃はあったでしょう。
しかしサンタは、大きくなるにつれて、私たちの心から立ち去っていく。
夢を現実で覆い隠しながら、子どもはみんな少しずつ大人になっていくものかもしれません。

「でも、サンタさんは必ずいると思う」
バージニアは他の友人や、先生に尋ねましたが誰もハッキリ答えてくれません。
そこで彼女は大好きな父親に尋ねました。
その時、バージニアの父親には妙案が浮かぶ。
それは毎日配達されてくる新聞社に手紙で質問することでした。
父親としては気の利いた逃げ口上と言えるが、新聞社としてはたまったものではありません。
そんなこととはつゆ知らず、無邪気なバージニアはさっそく手紙を書いて投函した。

サン新聞社さま
私は8才です。
私の友達に「サンタクロースなんているものか」っていってる子がいます。
パパは「サン新聞に聞いてごらん。サン新聞のいうことがいちばん正しいだろうよ。」
といってます。
どうか、ほんとうのことを教えてください。
サンタクロースって、いるんでしょうか?
ニューヨーク市 西95丁目115番地 バージニア・オハンロンより

*村上ゆみ子、1994年『サンタの友だちバージニア』偕成社 より引用*

そして数日後の9月21日、サン新聞の社説にバージニアの質問への回答が掲載されました。
新聞社としては非常に勇気のいる記事になったに違いありません。
ともすれば、バージニアだけではなく、多くの子どもたちの夢を一瞬で壊しかねないからです。

このたびは、わが社に、次のような問い合わせの手紙が届きました。
さっそくこの欄で取り上げてお答えいたしましょう。
サン新聞をこれほど信頼して、お手紙をくださったことに大変感謝いたします。
バージニア、あなたの友だちは「サンタクロースなんているものか」
といっているそうですが、その子はまちがっています。
この頃は、なんでもかんでも「そんなのはウソだ」と疑ってかかる人が多いけれど、
その子もそんな疑がりやさんなのでしょう。
そういう子は目に見えるモノしか信じようとしないし、自分の頭で考えても理解出来ないものは、
「あるもんか」と思ってしまうのです。しかし、自分の頭で考えられることなど、
おとなだって子どもだってそんなに多くないのですよ。
私たちの住んでいる、この限りなく広い宇宙と比べたら、人間の知識なんてものは
小さな虫ていど、そう、アリのようにちっぽけなものです。
この広い世の中にある「すべての真実と事実」を考えてみたら、私たちが頭で分っていること、
知っていることなどは、ほんの少ししかありませんよね。
そう、バージニア、サンタクロースはいるのです。
サンタクロースがいる、ということは、この世の中に愛や、優しさや、
思いやりがあるのと同じくらい、たしかなものです。私たちのまわりにある愛や思いやりは、
あなたの生活を美しく楽しいものにしているでしょう?
もし、サンタクロースがいなかったとしたら、この世の中はどんなにつまらないことでしょう!
サンタクロースがいないなんて、バージニアみたいな子どもがいない、と同じくらい
さびしいことだと思いますよ。
サンタクロースがいなかったら、素直に信じる心も、詩も、夢のような物語もなく、
人生はちっとも楽しくないでしょう。わたしたちが、喜びを感じるのも、目で見たり、
さわったり聞いたり出来るものだけになってしまいます。
そして、子どもたちが世界中にともした永遠の光も消えてしまうでしょう。
サンタクロースが信じられない、とはね!
それじゃあ、妖精がいることも信じない、ってことになるね!
なんだったら、パパにたのんで。だれか人を雇って、クリスマス・イブに街中の煙突を
見張ってもらって、サンタクロースをつかまえてみることにしましょうか?
でも、もしサンタクロースがみつからなくても、それがどうしたっていうんです?
サンタクロースを見た人は、だれもいません。
でも、だからといって、サンタクロースがいない、といえるでしょうか。
この世の中でいちばんたしかでほんとうのもの、それはおとなの目にも、子どもの目にも
見えないのです。
妖精が芝生の上でダンスしているのを見たことがありますか?
もちろん見たことがないでしょう。でも、見たことがなくても、妖精なんかいないんだ、
ということにはなりません。この世の中には、目に見えないものや、見ることができないものが
ずいぶんたくさんあります。そんなふしぎなもののすべてを、人間がわかったりできるものですか。
赤ちゃんのガラガラはとうして音が出るのか、もし知りたかったら、それをこわして
中を調べることはできますね。
しかし、目に見えない世界は、1枚のカーテンでおおわれていて、どんな力持ちでも、
力持ちが何人集まっても、そのカーテンを引き裂くことはできません。
そのカーテンを開けることができるのは、信じる心、想像力、詩、愛、夢見る気持ちだけなのです。
そういう心さえあれば、カーテンの向こうに広がる、美しく、きらきらした輝かしい世界を
見ることができるのです。
そんな世界はまぼろしではないかって?
バージニア、カーテンの向こうのそんな世界こそが、ほんとうであり永遠なのです。
サンタクロースがいないだなんて!
うれしいことに、サンタクロースはちゃんといるし、これからもずっと生き続けるでしょう。
いまから1000年たっても、いえ、その100倍の月日が流れても、サンタクロースは
子どもたちの心の喜びとして、ずっとずっと生き続けるでしょう。

「そう、バージニア、サンタクロースはいるのです」
という文章は、その後も毎年クリスマスに載るようになりました。
この社説を書いたのは、フランシス・ファーセラス・チャーチという人です。
当時チャーチは58才。チャーチは奥さんと2人暮らしで子どもはいませんでした。
チャーチにバージニアの姿は見えません。しかし、バージニアを自分の子どものように感じ、
優しくあたたかく語りかけているのが素晴らしくよくわかります。
チャーチはこの社説を書いた9年後に病気で亡くなってしまいました。
そして、やがて記事も新聞から消えた。

さて、その後バージニアはチャーチの出身校であるコロンビア大学に学び、文学博士号をもらう。
そして、小学校の先生になりました。さらにニューヨークのフォーダム大学に通い、
教育学博士号という最高の免状を手にします。
1947年には校長先生となり、69歳になるまで教師を続けました。1971年、バージニアは
81歳でこの世を去ります。そして、あの社説が復活することになるのです。
当時、サン新聞はなくなっていたが、「ニューヨークタイムズ」がバージニアの死の翌日、
14日の第1面に「サンタの友だちバージニア」という記事を掲載したのです。
「そう、バージニア、サンタクロースはいるのです」
この言葉は世界の人々に、夢と信じる勇気の大切さを語り伝えてきました。
名文としていまも残り、未来へも語り継がれていくでしょう。
誰も知らない100年前のことなのに、文章はそれから消えることなく今日まで残り続けているのが
凄いですね。
人間の精神性は、肉体が消えても決して失せることはありません。
それと同じように、精神性を受け継いだ文章は、永遠であることを教えられます。
きっとサンタクロースも妖精も、人間にとってもっとも尊い精神性から生まれたものであり、
決して失せるものではないでしょうし、それを否定するなんてとても悲しい行為だと私は思います。






私は、娘達が結構大きくなるまで、
クリスマスのプレゼントを贈っていましたが、
このように考えていた訳ではありません。

最後の「誰も知らない100年前のことなのに・・・」
の文章は金光教の木津秀夫先生のお言葉ですが、
クリスマスを前にして、目に見えない世界の
大切さ、人間の精神性について改めて
考えるきっかけになればと思い、ご存知の方も
多いかと思いますが、ご紹介させていただきました。