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母の力は偉大なり

19.05.17

5月12日は母の日でした。
私は12年前に7年間胃瘻で寝たきりの生活のままだった母を亡くしました。
家内の母も8年前に亡くなりましたから、「母」と呼べる人はもういません。

大正から昭和にかけて熱烈な説教講演で多くの信奉者を集めた
真宗大谷派の僧・暁烏敏の短歌があります。

人に十億の母あらむも
わが母にまさる母ありなむや

十億の人に十億の母がいる。
中には立派な母、優れた母もたくさんいるだろう。
だが、自分にとっては自分の母こそが
最高の母だ、というのである。

近年、母の力の衰えが感じられてならない。
虐待、教育放棄、果ては子殺し、頻出する事件はその突出した
表れのようである。

かつて、児童福祉施設は親を失い、寄る辺ない子どもたちの施設だった。
だがいまでは、虐待する親から子どもを引き離し、
守るための施設と化している現実が母の力の衰弱と無関係ではない。
母の力の覚醒が求められてならない。

『致知』2005年5月号特集「母の力」の総リードの一文です。

もう一つ忘れられないのは、坂村真民さんの詩です。

念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
この言葉を
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった


32歳の時にご主人が42歳の厄を越えずに急逝、女手一つで5人の子どもを育てる
苦しい日々の中で、お母さんが愚痴を言う代わりに口にしていた言葉
・・・念ずれば花ひらく・・・
その言葉が真民さんの生涯を貫く言葉となったのです。

母がいつもどういう言葉を口にしているか、
その言葉はいつしか子どもの人生を左右する大きな力になる。
そのことをこの詩は教えてくれています。

明治期、女子の教育の大事さに気づき、
実践女学校を創設した下田歌子はこういう言葉を残しています。

「社会風潮の清濁は、
その源男子にあらずして女子にあり・・・
まことに揺籃(ようらん)を揺るがす手は、
以て能く天下を動かすことを得(う)べし」

母親がその人格の光でどう子どもを照らしていくか。
それは国のあり様をも決定していく力になるということです。
その通りだと思います。

その母のあり様が当今、揺らいでいるといいます。
そういう若いお母さんたちに
心の糧となるような言葉を届けたい、という思いのもとに
6月12日に致知別冊『母』が発刊されます。
亡くなった母を偲んで読んでみたいと思います。