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追悼 渡部 昇一 先生

17.06.26

平成29年4月17日(月)上智大学名誉教授 渡部 昇一先生がご逝去されました。
享年86才でした。

15年程前に、渡部昇一先生のご講演をお聞きするまでは、
英語学者・評論家としての認識しかありませんでしたが、
豊かな知識と鋭い洞察力で良心的で常に信じるところを説いて止まぬ
お姿に感銘を受けた事を今でも鮮明に覚えております。



月刊『致知』7月号の渡部先生への追悼の言葉の中から、
特に私が共鳴する部分をご紹介させていただきます。





「知の巨人を偲ぶ」 内閣総理大臣 安部 晋三

保守の論客であり、確固たる歴史観を貫き、また文学・文化にも造詣深い、まさに「知の巨人」でありました。


「該博な教養を備えた無類の愛国者」 作家 石原 慎太郎

世界が混迷の度を深め、日本人が己のアイデンティティーを見失いかけている現代に、
彼のような「知」の巨人を失った事を痛切に悔まずにはいられない。


「知的で良心的な愛国者」 作家 堺屋 太一

知的で、良心的で、愛国的であるためには、すべてを公正に見る知性と知識、流行にもマスコミ論調にも
媚びない骨太さ、そして内外の知識を深く知る勉学が必要である。
渡部昇一先生は、この三つを兼ね備えた碩学、勇気ある知的巨人だった。


「朗らかな、日本への愛と信頼にあふれた笑い声」 ジャーナリスト 櫻井 よしこ

歴史に埋もれている数多の事実に光を当て、日本の名誉回復と、若い世代の自信回復の後押しをなさった渡部さんに
心より敬意を払います。


「日本の美しい桜が散った」 初代内閣安全保障室長 佐々 淳行

いまでこそ「保守」は市民権を得ているが、およそ30年前は「時代錯誤」と同義語であった。
「憲法改正」だの「国益」だのと言いだせば、それだけでマスコミの目の敵、発言の機会から締め出されかねなかったのだ。
そういう逆風の中にあって、戦後日本のあり方について、筋の通った主張をずっと貫いてきたのが渡部さんだった。


「卓越した見識の人を惜しむ」 衆議院議員 下村 博文

渡部先生は「民主主義には横の民主主義と、縦の民主主義がある」と発言されました。
・・・・・
つまり、社会はいま生きている私達の判断で物事を決めるのではなく、遠い祖先からの歴史や
未来に向けた先見力も併せ持つ改革を進めなければならない。


「先生の鞄の中の風呂敷包み」 作家 童門 冬二

祖父、父、そして先生。同じ書物を読んでも傍線を引くところが違うというのは、三代にわたる
渡部家の「論語」の受け止め方に差異があることを示している。先生はそれを大切にされていた。
しかもそれを風呂敷で包んで始終持ち歩いておられる所が面白い。

「大切な人の早すぎる死」 京都大学名誉教授 中西 輝政

渡部先生は数十年にわたり平明な叙述で、しかし日本人にとって大切な考え方を説きつづけ、
一貫して日本の論壇をリードしてこられ、また、あの独特な山形弁での当意即妙・軽妙洒脱な
語り口は全国の渡部ファンを惹きつけてやまなかった。

「日本と世界にとって大きな損失」 筑波大学名誉教授 村上 和雄

今後、世界に必要なことは、単に科学・技術の力だけではなく、大自然の恵みに感謝し
凛として生きることだと思います。
そのためには、日本民族は誇りと高い夢を持って歩んでほしいと切望しておられたように思います。

「渡部昇一先生を悼む」 臨済宗 円覚寺派管長 横田 南嶺

先生は一時期偏向的な思想を持った人たちから糾弾されていました。
すべての授業を妨害されたこと、仲間の中には自ら命を絶ったり、言論の世界から消えた者も
多かったなど、当時のご苦労についてもうかがいました。
私は即座に「先生はどうして平気だったのですか」と聞きました。
先生は「学んで学んで学びつくして確信したのだから、揺らぎようがない」と答えられました。
膨大な蔵書を拝見して納得しました。


”渡部昇一先生とのささやかな思い出を偲び、心より哀悼の意を表します。”