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『1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』 3月度

22.10.24

昨年の1月の「365人の仕事の教科書」に続き、
「365人の生き方の教科書」の中から、
私の心が熱くなった話をご紹介させて
いただいております。
最初にご紹介させていただいたのが、今年8月24日に
90歳で永眠されました稲盛和夫さんの
「知恵の蔵をひらく」でした。稲盛さんの言葉から
学ばせていただいた事は多々ありますが、
根底に流れているのはつねに「利他の心」でした。






人生を変えたロングフェローの詩
長野安恒 声楽家

私は小学校五年生の時、突然、バセドー病になりました。当時は治療法不明で、いくら食べても瘦せ細り、
毎日怯えていました。もう地獄でしたね。こんな思いをするぐらいなら死んだほうがマシだと、
教会に向かって石を投げたこともあります。そんな時、先人たちが残してくれた言葉に救われました。
石川啄木の歌に

はづれまで一度ゆきたしと 
思ひゐし
かの病院の長廊下かな


とありますが、病院の廊下って本当に長いんです。廊下の突き当りから先へは、病人は出ていくことが
できないからです。だからこの歌が身に染みて分かるんです。
他にも

東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる



私のいた病院は海辺の崖の上に建っていて、砂浜へ下りる抜道がありました。私は食事時間以外は
逃げるように浜辺に行き、毎日ボーッと海鳥などを見ながら

潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ
今年(いま)も咲けるや



などの歌を思い浮かべていました。

またその頃読んだのが、若山牧水の歌です。

幾山河越えさり行かば寂しさの終(は)てなむ国ぞ今日も旅ゆく


など幼心にも堪らなく沁みました。そして後に私の生きる糧となった牧水の歌が

けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く

です。病気でも心だけは自由でいたい。心の鉦を打ち鳴らし打ち鳴らしつつ・・・・・。
これだ、これしかないと思いました。
その後、もう一人、ロングフェローという詩人に出会いました。
これは私が20歳の頃に学んだ詩ですが、彼は「人生の詩篇」で次のようなことを述べています。

「Tell me not,in mournful numbers 悲しげな歌を聴かせないでくれ。
人生は虚しい夢ではないのだ。眠っている魂にとっては虚しい夢かもしれないが、目覚めた
魂にとって人生は現実そのものである。その人生の成否を決めるものは、その人の心の中に熱情が
燃えているかどうかである。あなたの心臓は絶えず死に向かって葬送行進曲を打ち鳴らしている。
だからと言ってあなたは黙って屠り場に引かれていく家畜のようであってはならない。あなたは人生の
英雄であれ。戦うのだ。」

と。
ではなんのために、何を目指して戦うのか。彼は時間というものを砂浜に例えてこう言います。

「時の砂上に足跡を記せ。それは時間とともに波が消してしまうかもしれないが、あなたと同じように
人生の大海原で難破して傷ついた人が、それを見てもう一度生きる勇気を奮い起こせる様な足跡を。
そのためにあなたは生きているのだ。」


これだ、これで生きようと決心しました。その詩はこう締め括られてありました。

「だからいまどんな状況であったとしても虚しい夢を明日に繋ぐのではない。いま、いま行動せよ。
明日はいまより一歩でも先へ進んだ自分を見つけられるよう、いまを生きるのだ。努力しようでは
ないか。精いっぱい努力しよう。そして祈りつつ待つことを学ぼう」


言葉の力に圧倒され、涙が止まりませんでした。では自分の記すべき足跡とはなんなのでしょう。
まだ見つけきれてはいません。しかし、生きている限り、心の鉦は鳴らし続けるつもりです。


今年になってから私の心臓の葬送行進曲のリズムが
3回程、最初は1時間、2回目が4~5時間、3回目が12時間程乱れました。
お陰様でその後は乱れておりませんが、長野さんの
「時の砂上に足跡を記せ。それは時間とともに波が消してしまうかもしれないが、あなたと同じように
人生の大海原で難破して傷ついた人が、それを見てもう一度生きる勇気を奮い起こせるような足跡を。
そのためにあなたは生きているのだ。」

を胸に刻んで、葬送行進曲を打ち鳴らしていきたいと思います。




ブスの25箇条 --- 宝塚歌劇団の伝説の教え
貴城けい 女優

私が宝塚歌劇団を対談する一年程前だったと思います。ある時期から歌劇団の人ならだれもが目にする
場所に貼り出された一枚の紙。そこには「ブスの25箇条」とありました。
いつ、誰が、何のために貼ったのか、誰に聞いても分かりません(しかもいまは外されているという
からますますナゾです)。しかし、誰もがその張り紙の前で足を止め、見入っていました。

「こうするとブスになる」という、この二十五の戒めは、何も女性だけを対象としたものではなく、
人間としてのあるべき姿を逆説的に示したものではないかと思います。そして延(ひ)いてはそれが
人から愛され、運を呼び込むための資質といえるのではないでしょうか。

≪ブスの25箇条≫
・笑顔がない
・お礼を言わない
・おいしいと言わない
・目が輝いていない
・精気がない
・いつも口がへの字の形をしている
・自信がない
・希望や信念がない
・自分がブスであることを知らない
・声が小さくイジケている
・自分が最も正しいと信じ込んでいる
・グチをこぼす
・他人をうらやむ
・責任転嫁がうまい
・いつも周囲が悪いと思っている
・他人にシットする
・他人につくさない
・他人を信じない
・謙虚さがなくゴウマンである
・人のアドバイスや忠告を受け入れない
・なんでもないことにキズつく
・悲観的に物事を考える
・問題意識を持っていない
・存在自体が周囲を暗くする
・人生においても仕事においても意欲がない

夢や願望といった壮大なことではなくとも、「人としてよく生きたい、美しく生きたい」という
思いは、誰しもに共通したものだと思います。なんでもいいのですが、例えばこの「ブスの25箇条」
を読んで、まずは「自分ってどうなんだろう」と振り返ってみることが第一歩ではないかと思います。
最初はすべて当てはまっていてもいいのです。「よし、一つずつクリアしていこう」と決意し、実践する。
そしてそれを継続した人のみが成功し、必然的に運をつかむ人になるのではないかと思います。
一日でクリアできる人もいれば、十年かかる人もいるでしょう。しかし、自分の歩幅に合わせて、
少しずつでも前進していくことが、結果としてその人の人間力となり、魅力となる。そうなれば、
運のほうから自分のところへやってくるのではないかと思っています。




誰が書いたのか不明だそうですが、「こうするとブスになる」という25の戒めは、作者自身の
人生体験の中で生まれたのではないでしょうか?人間誰しも「人としてよく生きたい、美しく生きたい」
という思いがあると思います。そのためにはこの25の戒めは一つの指針となるのではないでしょうか?
貴城さんのように一つずつクリアして行きたいですね。





生きることが常に楽しみになる考え方
玄侑宗久 作家・福聚寺住職

禅では生死の世界ということをいうんですが、これは生まれたり死んだりを繰り返す変化の世界ですね。
だから生死は変化のことで、その変化を導く因果や縁起というのは、われわれがすべて見ることは不可能なんですね。

では、見えない因果や縁起に対してどうするか。それは、今日なら今日、この一時間なら一時間で
生まれて死ぬっていうふうに区切ってしまうことだと思うんです。独立した今日、独立した今であって、
連続していないと考えるわけです。その考え方を禅では「日々是好日」と言います。毎日毎日が独立して良い日
なんですね。

そう考えると、死というものは一日一日の中にある。例えば今日一所懸命何かをやるのも、将来の果報を期待して
我慢してやっているのでは、その先が来ないと納得できない。だから、今日やっていることのご褒美は今日もらって
しまう。つまり、今日一日とても楽しかった、素晴らしかったと思えば、今日のご褒美は今日全部もらえて、
例え明日は来なくてもチャラ。将来に貸しはないわけです。

よく檀家さんが亡くなった時に「これまでずっと働きっ放しで、これからいい時間をゆったり過ごせると思っていた
のに残念です」って家族の方が言うんですが、そういう“これから”っていうのは来ないんです。だから毎日毎日、
充分人生を楽しんだ、将来に貸しは残していないと言える状態にしていくべきじゃないかと思うんです。

そう思うために禅では「知足」(足るを知る)という言葉を用います。既に全部いただいて具わっているわけですからね。
私が男に生まれたことも、三春(福島県)に生まれたことも、例えば怪我したらその怪我したことも含めて、全部何か
意味があって起こっていることですし、過不足ないというふうに信じていれば不満を感じることもない。

で、時間を連続して捉えませんから、一生のうちのピークはいつだという考え方も私はしません。
例えば私はいま47歳ですけど、46年間待ちに待った年がいま来た、と考えるんです。65歳の人は64年間待ちに待った
最高のいまが来ているわけで、いつだっていまがピークなんです。欧米的な、計算能力とか、ロジカルな認識能力とか
いわば左脳の機能を中心にしたいまの社会生活の中では、五、六十代にピークが来てあとは衰えていくと思うわけ
ですが、そうではなくて、ドゥーイングが衰えても豊かなビーイングと接する時間がその後来るわけですから、
その意味では、人間というのは一生高まり続けていくと思うんです。

だから自分の人生に自分で物語を被せて不自由にすることはないと思うんです。自分には「既に
すべてが与えられている」ということ、そして「すべてのことは自分が何かを学び、深まるために
起こる」ということを自覚して、常にどう変わるかわからないいまを尊く生きることが人生の大切な
テーマだと思います。宇宙は進化し、私も進化し続けて、死の間際に最高潮に達する、と私は確信してますね。
だから生きることが常に楽しみなんです。


自分には「既にすべてが与えられている」ということ、そして「すべてのことは自分が何かを学び、
深まるために起こる」
ということを自覚して生きることが人生のテーマなのではないかと私も考えております。
人間は一生高まり続け、死の間際に最高潮に達する、と確信する事ができれば、生きることが常に楽しみになります。




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『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』致知出版社 より