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空海は三度泣く

16.08.23

私の人生の師でもある統合医療のパイオニア、矢山利彦先生にとって、空海の研究は趣味を越えた
切実な医療のための研究と実践の場だそうです。

私も矢山先生に触発されて先生のご著書『空海の人間学』を繰り返し読ませていただき、
空海大師の悩みの超え方などから多くのことを学ばせていただきました。

今回は、出口光さんがメールマガジンで
「空海が三度泣く」
と、大変興味深い切り口で空海の哀しみ、嘆きについて述べられていますので、
ご紹介させていただきます。

一、空海は性霊集の中で、愛する人との別れを次のように言っています。

「哀(かな)しいかな、哀しいかな

哀(あわ)れが中の哀れなり。

悲しいかな、悲しいかな

悲しみの中の悲しみなり。

覚りの朝(あした)には夢虎(ぼうこ)無く

悟りの日は幻象なしというといえども

然れどもなお夢夜(ぼうや)の別れ

不覚の涙に忍びず。」

この意味は、

「哀しくて哀しくて、哀れといっても
これほどの哀れはありません。
悲しくて悲しくて
悲しみの中の悲しみです。
悟りを開けば
何物にも惑わされないというけれど、
現実に愛する人との別れには
涙を流さずにはいられません。」

愛する人との別れをこのように語る空海
人間らしくて魅力的ですね。

あなたにも愛する人はいますか。
そんなに悲しむことができますか。

二、空海はこんな風に嘆きます。

「径路(けいろ)未だ知らず。

岐(ちまた)に臨んで幾たびか泣く。」

「どの道に進んで良いかわからない。
人生の分岐点に立って、何度泣いたかわかりません。」

若き空海が、どのように生きたら良いのかわからないで
何度も泣いたというのです。

今の多くの若者は、
「生きがいがない。」「働きがいがない。」
といいます。
私たちが人生に悩み、嘆いて当然ですね。
空海は「愛」に泣き、「生き方」に泣き成長していきました。
安易なプラス思考は吹っ飛びます。
人生は甘いも酸いも味わってこそ。
あなたも悲しいときは思いっきり泣いてみませんか。

三、空海は性霊集でこんな風に言います。
あなたも声に出して読んでみてください。

「虚空尽(つ)き

衆生尽き

涅槃(ねはん)尽きなば

我が願いも尽きん」

いったいどういう意味でしょうか。
いろいろな解釈がありますが、
私はこんな解釈が好きです。

「大虚空である宇宙も
全ての生命や人間の迷いも
悟りの世界も
全ては、私たちの心が創りだした世界だと
皆が知り、悟ったときに
私の願いが叶います。」

これは空海が開いた高野山で、たくさんの燈明で埋め尽くす
「万燈会」を催した時の願文です。
空海の「志」がここにあります。

全ての人が悟った世界を創る。
これが成し遂げられたとき、高野山に今でも生きているとされる空海は
滂沱(ぼうだ)の涙を流す。

3度目の「泣き」は私の創作ですが
本当にそうだと想います。

「愛に泣き」
「生き方」に迷って泣き、
「志」を果たして泣く。

これはまさしく、人間の幸せな生き方なのかも知れません。
空海は三度泣いた・・・あなたは?

私の座右の書、矢山利彦先生の『空海の人間学』を
紹介させていただきます。
矢山先生が超訳された
『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』
『般若心経秘鍵(はんにゃしんぎょうひけん)』は、
私の人生の羅針盤として大切に読ませていただいています。